旧日本海軍の艦隊令に定める連合艦隊とは、艦隊2個以上をもって編成し必要に応じ艦船・部隊を編入するものである。司令長官は天皇に直隷し、軍政に関しては海軍大臣の指揮を受け、作戦計画に関しては軍令部総長の指示を受けた。初めて編成されたのは日清(にっしん)戦争に際してで、以後は日露戦争などの戦時や演習時にのみ編成されていたが、1933年(昭和8)以降常時編成となった。昭和期の連合艦隊はアメリカ海軍を想定敵とする決戦艦隊であり、太平洋戦争勃発(ぼっぱつ)時には戦艦主力の第一艦隊、重巡主力の第二艦隊など9個艦隊からなり、戦時中には方面艦隊も加えて艦隊数は15を超え、外洋作戦に適する艦艇の大部分を指揮下に擁していた。したがって連合艦隊は日本海軍そのものを体現していたといって過言ではない。開戦時の勢力、戦艦10、空母10など254隻、戦時建造383隻、敗戦時の作戦可能艦艇45隻。司令部(旗艦)も開戦時の戦艦長門(ながと)から末期には陸上に移された。
[前田哲男]
『伊藤正徳著『大海軍を想う』(1956・文芸春秋)』▽『渡辺清著『海の城』(1969・朝日新聞社)』▽『『帝国連合艦隊』(1969・講談社)』
戦略単位となる艦隊2個以上で編成し,必要によりさらに艦船部隊を編入,付属させたもの。旧日本海軍の主力であり,司令長官は天皇に直隷し,艦隊を統率した。日清戦争で初めて常備艦隊と西海艦隊をもって組織され,黄海海戦などで清国艦隊を連破した(司令長官伊東祐亨)。日露戦争で第2次連合艦隊が編成され(司令長官東郷平八郎),日本海海戦でバルチック艦隊を撃滅した。日露戦争直後,連合艦隊は解散されたが,1913年から必要に応じ平時にも連合艦隊が置かれることになり,33年からは,平時編成のなかに戦略単位をこえ,戦時の作戦軍となる連合艦隊が常置されることになった。太平洋戦争開始にあたっては,山本五十六連合艦隊司令長官が主張した真珠湾奇襲攻撃が功を奏して緒戦の勝利を収めたが,42年のミッドウェー海戦で連合艦隊は敗北を喫し,以後,山本,古賀峰一の2代の連合艦隊司令長官が戦死するなど,敗勢の挽回はならなかった。44年のマリアナ沖海戦,レイテ沖海戦以後,海軍は主力艦隊をほとんど喪失し,連合艦隊司令部は艦上から横浜市日吉台に移り,敗戦を迎えた。
執筆者:粟屋 憲太郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
2個以上の艦隊で編成される日本海軍の外洋作戦担当の中核部隊。最初の編成は日清戦争にともない1894年(明治27)7月19日,常備艦隊と西海艦隊からなり,司令長官は伊東祐亨(すけゆき)中将。次は日露戦争にともない1903年12月28日,第1・第2艦隊(のちに第3・第4艦隊を加える)からなり,司令長官は東郷平八郎中将(のち大将)。その後連合艦隊は演習その他の目的のため年度の所要期間編成されたが,33年(昭和8)5月20日以降,常時編成となった。太平洋戦争開戦時には第1~第6艦隊,第1・第11航空艦隊,南遣艦隊からなり,司令長官は山本五十六(いそろく)大将。戦争中は2個艦隊以上をもつ方面艦隊・第1機動艦隊も連合艦隊に含まれていた。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…艦隊は,数個の戦隊をあわせ指揮する部隊である。艦隊をあわせて連合艦隊を編成することもあり,最近では空母を中心とする機動部隊を設けることもある。空軍の基本部隊は戦隊であり,単一航空機を20機前後保有する。…
※「連合艦隊」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加
9/20 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
7/22 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新