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連合艦隊 れんごうかんたい

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

連合艦隊
れんごうかんたい

旧日本海軍が戦時事変,演習の際に艦隊2個以上をもって編制した艦隊。日清戦争に際して初めて編制され,1933年以後は常時編制となった。太平洋戦争での編制は,時期によって異なるが,おおむね第1艦隊が戦艦を,第2艦隊が重巡洋艦を,第3艦隊は 1942年以降航空母艦をそれぞれ基幹とし,第4艦隊はミクロネシア方面 (委任統治領) の防衛任務に,第5艦隊は北洋方面の防衛にあたらせた。第6艦隊は潜水艦隊。その他基地航空力から成る第 11航空艦隊および第1,2,3航空艦隊,占領地域には南西方面艦隊および南東方面艦隊を設けた。このうち主戦兵力である機動打撃力は,第2,3艦隊および第1,2航空艦隊である。なお 45年5月には作戦部隊全部を統一指揮する海軍総隊が設けられ,その司令長官は連合艦隊司令長官が兼務した。太平洋戦争開始時の艦艇保有数は 396隻であった。

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デジタル大辞泉の解説

れんごう‐かんたい〔レンガフ‐〕【連合艦隊】

2個以上の艦隊をもって編制した艦隊。特に、旧日本海軍の主力艦隊をいう。

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世界大百科事典 第2版の解説

れんごうかんたい【連合艦隊】

戦略単位となる艦隊2個以上で編成し,必要によりさらに艦船部隊を編入,付属させたもの。旧日本海軍の主力であり,司令長官は天皇に直隷し,艦隊を統率した。日清戦争で初めて常備艦隊と西海艦隊をもって組織され,黄海海戦などで清国艦隊を連破した(司令長官伊東祐亨)。日露戦争で第2次連合艦隊が編成され(司令長官東郷平八郎),日本海海戦バルチック艦隊を撃滅した。日露戦争直後,連合艦隊は解散されたが,1913年から必要に応じ平時にも連合艦隊が置かれることになり,33年からは,平時編成のなかに戦略単位をこえ,戦時の作戦軍となる連合艦隊が常置されることになった。

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大辞林 第三版の解説

れんごうかんたい【連合艦隊】

二個以上の艦隊で編制した艦隊。旧海軍では、内戦部隊を除いた全兵力で連合艦隊を編制した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

連合艦隊
れんごうかんたい

旧日本海軍の艦隊令に定める連合艦隊とは、艦隊2個以上をもって編成し必要に応じ艦船・部隊を編入するものである。司令長官は天皇に直隷し、軍政に関しては海軍大臣の指揮を受け、作戦計画に関しては軍令部総長の指示を受けた。初めて編成されたのは日清(にっしん)戦争に際してで、以後は日露戦争などの戦時や演習時にのみ編成されていたが、1933年(昭和8)以降常時編成となった。昭和期の連合艦隊はアメリカ海軍を想定敵とする決戦艦隊であり、太平洋戦争勃発(ぼっぱつ)時には戦艦主力の第一艦隊、重巡主力の第二艦隊など9個艦隊からなり、戦時中には方面艦隊も加えて艦隊数は15を超え、外洋作戦に適する艦艇の大部分を指揮下に擁していた。したがって連合艦隊は日本海軍そのものを体現していたといって過言ではない。開戦時の勢力、戦艦10、空母10など254隻、戦時建造383隻、敗戦時の作戦可能艦艇45隻。司令部(旗艦)も開戦時の戦艦長門(ながと)から末期には陸上に移された。[前田哲男]
『伊藤正徳著『大海軍を想う』(1956・文芸春秋) ▽渡辺清著『海の城』(1969・朝日新聞社) ▽『帝国連合艦隊』(1969・講談社)』

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世界大百科事典内の連合艦隊の言及

【軍隊】より

…艦隊は,数個の戦隊をあわせ指揮する部隊である。艦隊をあわせて連合艦隊を編成することもあり,最近では空母を中心とする機動部隊を設けることもある。空軍の基本部隊は戦隊であり,単一航空機を20機前後保有する。…

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