日本歴史地名大系 「荒川本郷村」の解説
荒川本郷村
あらかわほんごうむら
阿見原の南に続き、村の中央を
とあり、信太庄雑掌定祐は、地頭遠江式部大夫守政が同庄内本郷一方分の正中元年(一三二四)から嘉暦三年(一三二八)までの年貢五貫文を、地頭遠江幸寿丸が同じく四貫文を対捍していると訴えている。守政・幸寿丸は北条氏の一門と思われる。元徳元年一一月日の地頭代良円請文(東寺古文零聚)に
とあり、以下納入金額と請取の記録があるので、地頭からの年貢納入があり、東寺の荘園経営が軌道に乗り始めたことを物語る。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報