日本歴史地名大系 「荒砥御役屋跡」の解説 荒砥御役屋跡あらとおやくやあと 山形県:西置賜郡白鷹町石那田村荒砥御役屋跡[現在地名]白鷹町荒砥甲鮎貝(あゆかい)御役屋とともに米沢藩領北部の守りを固めるとともに正部(しようぶ)舟陣屋などを管轄下に置き、行政機構の中心ともなった。御役屋将(元禄五年までは城代)、同補佐役の御役屋付馬上一騎のほか、当初は扶持方手明など二〇人、足軽一七人が在番、御役屋の周囲には家中屋敷が配置された(山形県史)。享和元年(一八〇一)には諸役として扶持方では御付用人一・判書役三・正部陣屋廻舟改役二・十分一役兼宗門方一・火消方四・備籾量方一などがおり、足軽の役職には町役・林役・捕手などがあった。ほかに無禄の下屋敷足軽衆(一九人)がおり、諸役にあたっている(白鷹町史)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by