荘園公領制
しょうえんこうりょうせい
荘園と公領(国衙(こくが)領)という,日本中世の二つの土地制度を総合的にとらえた概念。職(しき)の体系,年貢・公事(くじ)の収取といった土地人民支配の両者の共通性に注目する。荘園・公領とも大田文(おおたぶみ)により田数を確定され,国家的賦課の対象となっている点を重視し,中世の土地制度をたんなる私的所有体系ではなく,国家的性格をもったものとしてとらえようとする点に特色がある。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の荘園公領制の言及
【職】より
…その場合,郡司の地位は相伝の権利・財産化して譲与の対象ともされていることから見て,職は官職であるとともに私財的性格を色濃く備えていることがわかる。さらに11世紀から12世紀にかけて荘園公領制が展開すると,荘園では本家職,領家職,預所職,下司職など,公領でも郷司職,保司職などのようにひろく職の称をもって,領主的諸階層の地位・権利を表すようになった。この場合も,それらの職は,荘園公領支配の体制上の地位・職務であるとともに,それが一面ではその職の保有者の私的財産的性格を備えて譲与の対象とされており,さきの郡司職の場合と共通の性質を備えている。…
【荘園】より
… 第2次大戦後の10年間は第1の潮流が支配的であったが,1955年以後,それ自体の中に反省がおこるとともに,第2の潮流の再評価が進み,あらためて2潮流の弱点をそれぞれに克服,総合する道が模索された。現在では荘園=国衙領体制,荘園公領制などの用語も用いられ,諸学の協力の下に荘園・公領の実態を解明する努力が進められつつある。
[発生――初期荘園]
荘は本来,本宅に対する別宅を意味し,倉庫などを含む建物をさす語で,律令制以前の田荘も家宅とそれに付属する田地であった。…
【東国】より
… 実際,中世においても東国と西国の社会には明瞭な差異が認められる。東国も西国と同じ土地制度,荘園公領制の上に立ってはいるが,その単位は[郡]を基本とし,《和名類聚抄》に載る古代の郷が消滅したあとに成立した新たな郷がその下部単位をなし,名(みよう)は著しく未発達で,在家(ざいけ)が田畠とともに収取単位となっている。おのずと郡そのものが荘園になる場合が多く,荘の規模はきわめて大きい。…
※「荘園公領制」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」