大田文(読み)オオタブミ

デジタル大辞泉 「大田文」の意味・読み・例文・類語

おお‐たぶみ〔おほ‐〕【大田文】

鎌倉時代、各国ごとに田地の面積や領有関係などを記録した土地台帳淡路あわじ若狭わかさ但馬たじま常陸ひたちなどのものが現存。

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精選版 日本国語大辞典 「大田文」の意味・読み・例文・類語

おお‐たぶみおほ‥【大田文】

  1. 〘 名詞 〙 中世、一国ごとに国内の所領ごとの名称、田地面積、領有関係などを記録した土地台帳。それによって課役賦課した。淡路国若狭国但馬国常陸国などのものが残存し知られている。図田帳
    1. [初出の実例]「明春、駿河武蔵越後等国々、可整大田文之由、被行光、清定云々」(出典:吾妻鏡‐建暦元年(1211)一二月二七日)

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改訂新版 世界大百科事典 「大田文」の意味・わかりやすい解説

大田文 (おおたぶみ)

中世,鎌倉時代を中心に国ごとに作成され,一国内の国衙領荘園別に各所領ごとの名称,田積,所有関係などを記載した文書。田文,田数帳,図田帳などともいわれた。大田文の発生時期や経緯についてはまだ十分に解明されていないが,律令制下の班田図国図)が作成されなくなった平安時代後期11世紀半ば以降に,中世につながる一国平均課役や荘園整理政策などが諸国に行われるようになって,その必要から作られるようになったのではないかと推定されている。しかし現存する大田文はいずれも鎌倉時代のものまたはそれをもとに後世改作したものであり,大田文の具体的形態は鎌倉時代以降にならないとわからない。

 現存する大田文は断簡まで含めると21種に及び,そのうちほぼ完全な形をとどめているのは表のように12種あり,丹後を除く11種はいずれも鎌倉時代のものである。大田文の形態を記載主体と記載方式の違いによって大別すると,国守が国衙在庁官人に命じて作成し,国内すべての国衙領,荘園の田積や国衙領の租税田,租税額などを記入したものと,幕府が守護に命じて国衙在庁官人を指揮して作成させ,国内すべての国衙領,荘園の田積に加えて領有関係,とりわけ地頭補任の状況などを記入したものに分かれる。前者は平安時代以来の形をそのまま継承,発展させたもので,国衙が伊勢神宮造営役,大嘗会役,国役などの一国平均課役の賦課や荘園整理のため,あるいは国衙租税基準額を示すための台帳として作成したが,後者は地頭の存否,御家人・非御家人の弁別,それにもとづく大番役などの賦課の台帳とされ,国衙機構に関与して地方支配を展開した鎌倉幕府の諸国行政の基本文書となった。

 国衙と守護とによってそれぞれ作成された大田文は,鎌倉時代を通して朝廷と幕府の諸国支配を支える不可欠の文書であったが,南北朝時代以降,国衙とそれを媒介とする形での幕府の支配が消滅するに及んで本来の意味を失い,かわって台頭した守護大名の下では,その領国支配を伝統に裏打ちされたものとするためのシンボリックな文書として,改作を経ながら伝世されることとなった。以上の点から大田文とは,平安時代末から南北朝にかけて中世的な地方政治が国衙を単位として行われた時代に本来の生命をもって登場したものであり,この時代の実態を包括的,構造的にとらえるための好個の素材ということができる。室町時代守護大名にそれが用いられたのも,国を単位とする政治が正統性を得るためにまだ一定の意味をもっていたからにほかならない。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「大田文」の意味・わかりやすい解説

大田文
おおたぶみ

鎌倉時代を中心に作成された一国ごとの国内の公領・荘園(しょうえん)の田積(でんせき)、領有関係を記した文書。田文(たぶみ)、田数帳(でんすうちょう)、田数目録、作田惣勘文(さくでんそうかんもん)、図田帳(ずでんちょう)などともいう。なお、郡、郷、名(みょう)単位、荘園単位の田積、領有関係を記したものも大田文、田文とよばれている。国の大田文として現存しているのは21種、うちほぼ完全な形で残っているのは、日向(ひゅうが)、大隅(おおすみ)、薩摩(さつま)、豊後(ぶんご)、能登(のと)、石見(いわみ)、淡路若狭(わかさ)、常陸(ひたち)(2種)、但馬(たじま)、肥前、丹後(たんご)国の13種である。記載内容から分類すると、A型―国内国衙(こくが)領、荘園のすべての田積を記すもの、A′型―同じく田積さらに国衙領の応輸田(おうゆでん)の所当米(しょとうまい)を記すもの、B型―同じく田積さらに領有関係、とくに地頭の氏名を記すもののおよそ3種がある。記載方式の差異は作成目的、作成主体者によるものであり、A型は一国平均役(いっこくへいきんやく)の基礎資料、A′型は国衙の歳入・歳出を確定する予算書的なもの、B型は地頭補任(じとうぶにん)の確認および御家人(ごけにん)役賦課のための台帳と考えられ、A、A′型は国衙の在庁官人が国衙に整理、保存されていた台帳類から作成し、B型は守護が、在庁官人はもちろん御家人や各荘、郷、保に報告を求め作成したとみられる。鎌倉時代以降も一国平均役、段銭(たんせん)賦課の台帳として重視された。

[飯沼賢司]

『石井進著『日本中世国家史の研究』(1970・岩波書店)』

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百科事典マイペディア 「大田文」の意味・わかりやすい解説

大田文【おおたぶみ】

中世,特に鎌倉時代を中心に国ごとに作成され,国衙(こくが)領・荘園などの田数を記載した帳簿。田文・図田帳・田数帳とも。1国単位に各所領ごとの名称・田数・領有関係を調査したものをいい,国衙の在庁で作成。大田文は平安末期から室町期まで,国役(くにやく)賦課の台帳として使用された。
→関連項目一国平均役倉見荘雀岐荘菅原荘鳥飼荘成相寺温泉荘

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大田文」の意味・わかりやすい解説

大田文
おおたぶみ

図田帳,田数帳ともいう。鎌倉幕府が各国の守護や国衙 (こくが) に命じて作成させた土地台帳。一国の荘園,公領の田畑の面積,領有関係などを記載して,これによって所領関係の実態を把握し,貢租賦課の基準を明らかにした。現在ほぼその全貌が知られるのは,建久8 (1197) 年の日向,薩摩,大隅国図田帳,承久3 (1221) 年の能登国図田帳,貞応2 (23) 年の石見国惣田数注文,淡路国領荘園田畠地頭注文,文永2 (65) 年の若狭国惣田数帳,弘安8 (85) 年の豊後国図田帳,但馬国大田文,正応5 (92) 年の肥前国河上宮造営用途支配惣田数注文,嘉元4 (1306) 年の常陸国大田文などで,このほか肥後,筑後,豊前,筑前などの断簡が残っている。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「大田文」の解説

大田文
おおたぶみ

田数帳・図田帳・田数目録とも。中世,とくに鎌倉時代に作成された文書で,一国内の荘園・公領すべてについてその田地面積や領有関係などを記したもの。国司が命じて作成させたものと,幕府の命で各国守護が作成させたものがある。前者は伊勢役夫工米(いせやくぶくまい)・内裏造営・諸国一宮造営など一国平均役の賦課に際して,後者は地頭への御家人役賦課のために作成されたが,いずれも実際には国衙(こくが)の在庁官人が調査・作成した。大田文に所載の田は公田(こうでん)とよばれ,その数値は室町時代に至っても,国家的賦課の基準として重要視された。ただ現実の田数との乖離はしだいに大きくなった。

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旺文社日本史事典 三訂版 「大田文」の解説

大田文
おおたぶみ

鎌倉時代,幕府が諸国に命じて国内の田地の面積や領有者などを調査・記録させた土地台帳
図田帳・田数帳ともいう。1197年以来,幕府が各国守護に指令し,荘官・国衙 (こくが) 役人を動員して作成した。豊後・薩摩・日向・大隅の図田帳,淡路・但馬 (たじま) の大田文,若狭の田数帳が現存する。

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世界大百科事典(旧版)内の大田文の言及

【国】より

…10世紀末から11世紀中葉にかけて,旧来の郡が郡,郷,院,別名などに分裂すると,それらは国衙に直結する支配単位すなわち単位所領とされ,国衙官人らによる国内の直接支配が形成された。そのような体制を前提として,院政期に入ると一国の単位所領を書き上げた大田文(おおたぶみ)が作成され,それを台帳として一国平均役の賦課が行われるようになった。内裏の大番制も,国司を責任者として各国単位に勤仕された。…

【天皇】より

… これらの,供御人となった商工民,芸能民,あるいは荘園に対する天皇家の支配は,古代末期から中世初期にかけて,摂関家をはじめ大寺社との激しい競合を通じて確保されたのであるが,延久(1069‐74)以後,頻々と発せられた公家新制―荘園整理令,神人(じにん)・寄人(よりうど)整理令によって,天皇は荘園の廃立,神人寄人の認可,停廃をみずからの意志の下に置き,荘園,公領をこえたより高次の権威を確立しようとした。大田文(おおたぶみ)や供御人,神人,寄人の交名(きようみよう)はその前提として作成され,大田文に記載された田地は公田と呼ばれて,大嘗祭,伊勢神宮の役夫工米(やくぶくまい)など国家的な行事,儀礼に必要な費用はこの公田を基準に,公事(くじ),一国平均役(いつこくへいきんやく)として賦課された。また,大寺社の神人,寄人となった商工民,芸能民に対しても,天皇は公役賦課権を保持していたのであり,国司,諸国追捕使を通じて,交名にのせられた〈武勇の輩〉にも軍役を賦課し,これを動員したのである。…

【能登国】より

…《拾芥抄(しゆうがいしよう)》に見える平安末期ごろの総田数は8479町である。
【中世】

[能登国大田文の世界]
 平安末期の能登国は平氏一門の知行国(ちぎようこく)であったが,1181年(養和1)には国守の派遣した目代(もくだい)が在地武士によって追放されるなど,平氏の支配に対し反乱的状況が生まれていた。83年(寿永2)木曾の源義仲が平氏軍を撃破して北陸道を西上してくると,土田,日置,武部らの能登武士は,その陣営に加わった。…

※「大田文」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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