荻田村
おいだむら
[現在地名]桜井市大字生田
阿部村南に所在。慶長郷帳では豊臣秀頼の家臣大野治長領三〇八・九四石が「荻田村」、旗本水野守信領四八・五九石が「大和田」とみえる。元和元年(一六一五)秀頼に殉じた大野治長の知行地は没収され、幕府領(代官角南重勝)となり、同五年津藩(藤堂高虎)領に編入され、廃藩置県に至った。水野氏領は明治維新まで不変。津藩領については「宗国史」に家数三三、人口一九一、祠に八幡、寺に地蔵寺・惣堂、牛五とみえる。
荻田村
おぎたむら
[現在地名]田平町荻田免
小手田村の南東に位置し、釜田川が流れる。江戸時代は田平村のうちで、正保国絵図に「荻田村」とあり、高二五一石余。明暦二年(一六五六)の田方帳抜書では田平籠手田村内に荻田免と記される。元禄一二年(一六九九)の平戸領分郷村帳では田平村枝村として荻田村とあり、高二三四石余でヲキタの訓を付す。旧高旧領取調帳では小手田村内と考えられる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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