菅円吉(読み)カン エンキチ

20世紀日本人名事典 「菅円吉」の解説

菅 円吉
カン エンキチ

大正・昭和期の神学者,聖公会司祭 立教大学名誉教授;聖公会司祭。



生年
明治28(1895)年12月20日

没年
昭和47(1972)年9月23日

出生地
京都

学歴〔年〕
京都帝大文科大学哲学科〔大正7年〕卒

学位〔年〕
文学博士

経歴
アメリカ留学後の大正11年立教大学教授となり、社会的キリスト教が盛んだった昭和初期、自由主義神学の立場で教会を批判した。昭和8年ころウィサー・トーフトら欧州の神学者と接して神学的な立場を転換、弁証法神学を容れてバルト神学を講じた。戦後立教学院理事、立教高等女学校校長、立教大学教授、文学部長を兼ね、文学部内にキリスト教学科を創設した。他に日本キリスト教学会、日本宗教学会、国際宗教研究所、世界キリスト教協議会理事長、同常務理事、同中央委員などを務めた。著書に「バルト神学」「理性啓示」「死の問題」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「菅円吉」の解説

菅円吉 かん-えんきち

1895-1972 大正-昭和時代の神学者。
明治28年12月20日生まれ。大正12年立大教授となる。昭和のはじめ社会的キリスト教の運動参加,学生キリスト教運動指導。のち弁証法神学に転じ,バルト神学を研究・紹介した。昭和21年から文学部長をつとめ,キリスト教学科を創設した。昭和47年9月23日死去。76歳。京都出身。京都帝大卒。著作に「理性と啓示」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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