菅原白竜(読み)すがわら・はくりゅう

朝日日本歴史人物事典 「菅原白竜」の解説

菅原白竜

没年:明治31.5.24(1898)
生年天保4.11.13(1833.12.23)
明治期の南画家。出羽国時庭村(山形県西置賜郡)に神官の子として生まれる。本名道雄のち元道。福島の熊坂適山のもとに通って南画と中国古蹟を学ぶ。また父道栄に国学,上杉家の儒者山田蠖堂に漢籍を学び,30歳すぎごろから生家白竜山梵林院にちなんで白竜と号した。維新後しばしば上京して奥原晴湖ら文人墨客と交わり,明治17(1884)年東洋絵画会結成に参加,21年からその機関誌『絵画叢誌』の編集に当たる。南画に四条派や諸派を折衷した山水画を描いたが,明治6年の席上揮毫の際,安田老山がこれを和臭ありと難じたことはよく知られている。

(佐藤道信)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「菅原白竜」の解説

菅原白竜 すがわら-はくりゅう

1833-1898 明治時代の日本画家。
天保(てんぽう)4年11月13日生まれ。文人画家熊坂適山らにまなぶ。明治2年上京して奥原晴湖らの知遇をえる。各地を旅して山水画を得意とした。明治31年5月24日死去。66歳。出羽(でわ)置賜郡(山形県)出身。本名は道雄,のち元道。別号に日橋隠士。作品に「風雨山水」「渓山急雨」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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