朝日日本歴史人物事典 「菅原白竜」の解説
菅原白竜
生年:天保4.11.13(1833.12.23)
明治期の南画家。出羽国時庭村(山形県西置賜郡)に神官の子として生まれる。本名道雄のち元道。福島の熊坂適山のもとに通って南画と中国古蹟を学ぶ。また父道栄に国学,上杉家の儒者山田蠖堂に漢籍を学び,30歳すぎごろから生家の白竜山梵林院にちなんで白竜と号した。維新後しばしば上京して奥原晴湖ら文人墨客と交わり,明治17(1884)年東洋絵画会結成に参加,21年からその機関誌『絵画叢誌』の編集に当たる。南画に四条派や諸派を折衷した山水画を描いたが,明治6年の席上揮毫の際,安田老山がこれを和臭ありと難じたことはよく知られている。
(佐藤道信)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報