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奥原晴湖 おくはら せいこ

美術人名辞典の解説

奥原晴湖

南画家。名は節、別号は石芳・雲錦・静古・星古等、堂号に墨吐煙雲楼・繍水草堂。下総古河藩士池田重四郎の三女、関宿藩士奥原源左衛門の養女。画法を初め谷文晁の門人枚田水石に学ぶ。また清人鄭板橋私淑した。木戸孝允愛顧を受け、廟中の諸公と交わり文墨界に推重された。大正2年(1913)歿、76才。

出典 (株)思文閣美術人名辞典について 情報

百科事典マイペディアの解説

奥原晴湖【おくはらせいこ】

女性文人画家。下総(しもうさ)古河の生れ。幼名節。通称せい子。初め古河藩の牧田水石に師事,のち江戸で明・清の絵を研究して,鄭板橋(ていはんきょう)に私淑。男まさりの豪放な絵を描き,明治初期の文人画流行時に安田老山と人気を二分した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

奥原晴湖 おくはら-せいこ

1837-1913 幕末-明治時代の日本画家。
天保(てんぽう)8年8月15日生まれ。下総(しもうさ)古河(こが)藩(茨城県)家老池田政明の4女。枚田(ひらた)水石にまなび,江戸にでて,清(しん)(中国)の画家費(ひ)晴湖に傾倒し,東海晴湖と号した。安田老山とともに明治初期の代表的な文人画家。明治24年埼玉県熊谷に隠棲。大正2年7月28日死去。77歳。本名は節。号ははじめ雲錦。作品に「月ケ瀬梅渓図」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

朝日日本歴史人物事典の解説

奥原晴湖

没年:大正2.7.28(1913)
生年:天保8.8.15(1837.9.14)
幕末明治期の画家。下総国古河町(茨城県古河市)に古河藩大番頭池田繁右衛門政明,きくの3女として生まれる。幼名節,通称せい子。嘉永6(1853)年谷文晁門人の牧田水石について画を学び石芳と号した。その後渡辺崋山に私淑,書を小山霞外,小山悟岡に学ぶ。慶応1(1865)年,母方の親戚,関宿藩(千葉県)藩士奥原源左衛門の名義上の養女となって江戸へ出,上野摩利支天横丁に住む。通称のせい子と,中国人画家費晴湖に因んで晴湖と号し,画房を墨吐煙雲楼と称した。明治3(1870)年ごろより鄭板橋の筆意に私淑し,木戸孝允,山内容堂らに知られる。7年には儒者鷲津毅堂,画家川上冬崖らと下谷文人グループの半閑社を結成した。豪快な画風で知られ,門人は300人を超えたが,フェノロサ講演後の文人画低迷によって24年熊谷に隠棲し,謹直な着色画を描いた。

(安村敏信)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

奥原晴湖
おくはらせいこ
(1837―1913)

明治の女流南画家。本名は節子。下総(しもうさ)古河(こが)藩(茨城県)家老職池田氏に生まれる。初め同藩の枚田(ひらた)水石に学び、のち明清(みんしん)諸家を研究し、とくに鄭板橋(ていはんきょう)と費晴湖(ひせいこ)に私淑した。1865年(慶応1)奥原氏の養女となり、江戸に出て下谷(したや)摩利支天(まりしてん)に住し、勤皇の志士や諸名流と交わりながら画名を高める。一時は門人300人を数えるほどに流行したが、南画衰退の時流に伴って91年(明治24)中央画壇を去り、熊谷(くまがや)在川上(埼玉県)に隠棲(いんせい)した。粗放な筆致による墨画山水は明治の南画の特色をよく表している。当時としては異例の断髪にするなど、風采(ふうさい)および性格ともに男性的で、逸話の多い女性であった。[星野 鈴]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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