朝日日本歴史人物事典 「菅沼奇淵」の解説
菅沼奇淵
生年:明和2(1765)
江戸中・後期の俳人。初号奇中。別号,七杉堂,桃序,大黒庵など。松尾芭蕉終焉の地である花屋付近に住んで花屋庵,花屋裏とも号する。大坂の人。勝見二柳門。師が始めた芭蕉追善の松風会を継承して寛政8(1796)年から主催。以後,花屋裏年中行事と称して花市会,枯野会などを創始し,年刊句集『松風会』『花市会』『かれの会』などを刊行。師が築いた大坂蕉門俳壇を拡大し,化政期の業俳として西国一帯に勢力を振るい,法眼に叙せられた。『奇淵七部集(西国誹諧七部集)』『芭蕉袖草紙』など編著は多い。
(加藤定彦)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報