菅野和太郎(読み)カンノ ワタロウ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「菅野和太郎」の解説

菅野 和太郎
カンノ ワタロウ


専攻分野
日本経済史

肩書
衆院議員(自民党),大阪経済大学名誉教授

生年月日
明治28年6月20日

出生地
愛媛県松山市

学歴
京都帝大経済学部〔大正9年〕卒

学位
経済学博士(京都帝大)〔昭和7年〕

経歴
彦根高等商業学校教授、大阪商科大学教授を経て、昭和11年大阪市理事、同教育部長を歴任。17年大阪4区(のち1区)から衆院議員に初当選、以来当選9回。第2次岸内閣の経済企画庁長官、佐藤内閣通産相、経済企画庁長官を務めた。この間、19年昭和高等商業学校校長、28年大阪経済大学教授、51年退職し、名誉教授。著書に「日本商業史」「日本会社企業発生史の研究」「近江商人の研究」などがある。

没年月日
昭和51年7月6日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「菅野和太郎」の解説

菅野 和太郎
カンノ ワタロウ

昭和期の政治家,経済史学者 衆院議員(自民党);大阪経済大学名誉教授。



生年
明治28(1895)年6月20日

没年
昭和51(1976)年7月6日

出生地
愛媛県松山市

学歴〔年〕
京都帝大経済学部〔大正9年〕卒

学位〔年〕
経済学博士(京都帝大)〔昭和7年〕

経歴
彦根高等商業学校教授、大阪商科大学教授を経て、昭和11年大阪市理事、同教育部長を歴任。17年大阪4区(のち1区)から衆院議員に初当選、以来当選9回。第2次岸内閣の経済企画庁長官、佐藤内閣の通産相、経済企画庁長官を務めた。この間、19年昭和高等商業学校校長、28年大阪経済大学教授、51年退職し、名誉教授。著書に「日本商業史」「日本会社企業発生史の研究」「近江商人の研究」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「菅野和太郎」の解説

菅野和太郎 かんの-わたろう

1895-1976 昭和時代の政治家。
明治28年6月20日生まれ。昭和17年衆議院議員(当選9回,自民党)。戦後,第2次岸内閣の経済企画庁長官,第1・第2次佐藤内閣の通産相などをつとめる。48年第1次石油ショックの際は,日本アラブ経済使節団長として原油の輸入交渉にあたった。昭和51年7月6日死去。81歳。愛媛県出身。京都帝大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「菅野和太郎」の解説

菅野 和太郎 (かんの わたろう)

生年月日:1895年6月20日
昭和時代の政治家;経済史学者。衆議院議員(自民党);大阪経済大教授
1976年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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