菅野谷高政(読み)すがのや たかまさ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「菅野谷高政」の解説

菅野谷高政 すがのや-たかまさ

?-? 江戸時代前期の俳人
京都の人。西山宗因(そういん)にまなび,京都談林派の中心人物となる。延宝7年(1679)「中庸姿(つねのすがた)」をあらわしたが,貞門中島随流にその新奇な俳風を批判され,貞門と談林の間に論争をひきおこした。元禄15年(1702)以後死去通称孫右衛門別号に惣本寺,伴天連社編著に「誹諧絵合(はいかいえあわせ)」,著作に「是天道(これてんどう)」など。

菅野谷高政 すげのや-たかまさ

すがのや-たかまさ

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「菅野谷高政」の意味・わかりやすい解説

菅野谷高政
すがのやたかまさ

高政

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の菅野谷高政の言及

【高政】より

…江戸前期の俳人。生没年不詳。姓は菅野谷(すがのや),通称は孫右衛門。俳諧惣本寺,伴天連社(ばてれんしや)などを名のる。江戸の人。1674‐75年(延宝2‐3)ごろ上京。江戸在住当時から中央俳書に句を投じていたが,上京後,《誹諧絵合(えあわせ)》(1675),《後集絵合》(1677)等の編著によって一躍名をはせた。79年(延宝7)刊《俳諧中庸姿(つねのすがた)》は,その書名とは裏腹に奇矯異体の限りを尽くした作品であったため,貞門派の憎しみを買い,随流の《誹諧破邪顕正(はじやけんしよう)》(1679),重頼の《誹諧熊坂》(1679)など論難書が出され,やがて全俳壇を巻き込む規模の抗争事件へと発展した。…

※「菅野谷高政」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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