西山宗因(読み)ニシヤマソウイン

デジタル大辞泉 「西山宗因」の意味・読み・例文・類語

にしやま‐そういん【西山宗因】

[1605~1682]江戸前期の連歌師・俳人。談林派の祖。肥後の人。名は豊一とよかず。別号、西翁・梅翁など。里村昌琢に連歌を学び、主家加藤侯没落後、大坂天満宮の連歌所宗匠となった。俳諧では自由軽妙な談林俳諧を興し、門下に井原西鶴などを輩出。編著「宗因連歌千句」など。

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精選版 日本国語大辞典 「西山宗因」の意味・読み・例文・類語

にしやま‐そういん【西山宗因】

  1. 江戸前期の連歌師、俳人。談林俳諧の祖。通称、次郎作。名は豊一(とよかず)。梅翁と称す。肥後国(熊本県)八代の人。はじめ武士、のち、主家改易のため浪人。京に上り里村昌琢の指導をうけ、四三歳のとき、大坂天満宮の連歌所宗匠となる。俳諧も貞門の重頼などの影響で早くから親しんだが、寛文末年から延宝初年にかけて、宗因の自由で斬新な俳諧のもとに結集した人々で「談林俳諧」の一派をひらき、これが全国に流行。しかし晩年は俳諧から遠ざかり、再び連歌に熱意を示した。著「西翁十百韻」「西山宗因釈教俳諧」「宗因五百句」など。慶長一〇~天和二年(一六〇五‐八二)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「西山宗因」の意味・わかりやすい解説

西山宗因
にしやまそういん

[生]慶長10(1605).肥後
[没]天和2(1682).3.28. 京都?
江戸時代前期の俳人,連歌作者。名,豊一。通称,次郎作。別号,一幽,西翁,梅翁,西山翁,野梅子,長松斎,忘吾斎,向栄庵,有芳庵。肥後八代城主加藤正方の家臣で,連歌を里村昌琢に学んだ。主家改易後浪人として京都に出,正方が広島浅野家にお預けになるまで仕えた。正保4 (1647) 年長らく中絶していた大坂天満宮の連歌所宗匠となり,その経営に尽力し,諸侯や富商の支持を受けた。一方貞門の古風にあきたらない俳人たちに擁されて,延宝期には新風談林の棟梁となったが,延宝末年には談林末流の放縦乱雑に愛想をつかして連歌に帰った。俳諧に『宗因千句』 (73) ,『天満千句』 (76) ,『宗因七百韻』 (77) ,『宗因発句帳』,素外編『梅翁宗因発句集』 (81) ,連歌に『伏見千句』 (57) ,『小倉千句』 (65) ,『浜宮千句』 (78) ,『延宝千句』 (79) ,『風庵懐旧千句』 (79) ,紀行に『津山紀行』 (53) ,『松島一見記』 (63) ,『西国道日記』 (65) などがある。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「西山宗因」の解説

西山宗因 にしやま-そういん

1605-1682 江戸時代前期の連歌師,俳人。
慶長10年生まれ。肥後(熊本県)八代(やつしろ)城代加藤正方の小姓としてつかえ,京都で里村昌琢(しょうたく)に連歌をまなぶ。主家改易により浪人し,正保(しょうほ)4年大坂天満宮の連歌所宗匠となる。また俳諧(はいかい)に関心をよせ,軽妙な句風の談林俳諧を大成,貞門派を圧倒した。天和(てんな)2年3月28日死去。78歳。肥後出身。名は豊一。通称は次郎作。俳号は一幽など。連歌に「伏見千句」,俳諧に「蚊柱(かばしらの)百句」など。
【格言など】世の中よ蝶々とまれかくもあれ(「小町躍(おどり)」)

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旺文社日本史事典 三訂版 「西山宗因」の解説

西山宗因
にしやまそういん

1605〜82
江戸前期の連歌・俳諧師。談林派の始祖
名は豊一 (とよかず) 。号は西翁・梅翁。もと肥後(熊本県)八代 (やつしろ) 藩士。16歳のころから京にのぼり連歌を学んだ。主家没落後上京し,里村昌琢 (しようたく) らに師事し修業に励み,のち宗匠(師匠)となった。晩年は古風な貞門派を排して,自由・軽妙・清新な談林派俳諧をおこした。その句風は著書『宗因千句』『談林(西翁)十百韻 (とつぴやくいん) 』などで知ることができる。

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改訂新版 世界大百科事典 「西山宗因」の意味・わかりやすい解説

西山宗因 (にしやまそういん)

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百科事典マイペディア 「西山宗因」の意味・わかりやすい解説

西山宗因【にしやまそういん】

→宗因

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「西山宗因」の意味・わかりやすい解説

西山宗因
にしやまそういん

→宗因

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世界大百科事典(旧版)内の西山宗因の言及

【宗因】より

…70年(寛文10)法雲禅師のもとで出家,連歌所宗匠の地位を一子宗春に譲ってからは,いよいよ俳諧に熱中した。彼の俳風は,万治期からの独吟百韻を集めた《宗因千句》に早くも顕在化するごとく,和歌・謡曲などの文句の奇抜なパロディ,句調の軽妙さ,付合(つけあい)の飛躍的展開などにおいて,おのずから貞門古風へのアンチテーゼをなしたため,貞門からは〈軽口(かるくち)〉〈守武(もりたけ)流〉など異端者呼ばわりされ,《西山宗因蚊柱百句(かばしらのひやつく)》(1674)に対して論難書《しぶうちわ》(1674)が出されたりした一方,貞門風にあきたらず新風を模索していた大坂の西鶴・惟中,京の高政,江戸の松意・桃青(芭蕉)など気鋭の新人たちから熱狂的支持を受け,談林派の盟主にまつりあげられた。《西山宗因釈教俳諧》(1674),《宗因五百句》(1674),《宗因七百韻》(1677)など,宗因の名を冠した俳書が続々刊行されたのは,その声望の表れである。…

※「西山宗因」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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