菊ノ池城跡(読み)きくのいけじようあと

日本歴史地名大系 「菊ノ池城跡」の解説

菊ノ池城跡
きくのいけじようあと

[現在地名]菊池市深川

深川ふかがわ北宮きたみやの境、菊池川右岸の段丘にあり、現在は水田になっている。深川城・菊之きくの城・菊池古きくちこ城・雲上くものえ城ともいう。延久二年(一〇七〇)菊池氏初代といわれる藤原則隆による築城と伝えられ、菊池氏が隈府の城山わいふのしろやま本城を構えるまで一五代約三〇〇年間に及び菊池氏の本拠地になっていたという。「楠木合戦注文」正慶二年(一三三三)三月一三日の項に「肥後国菊池城に被向打手」とみえる。康永二年(一三四三)三月二五日大友氏泰に属した志賀頼房は「鞍嶽山」の合戦の後、同月二七日菊池城を攻めた(同年三月二九日「志賀頼房軍忠状」志賀文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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