菊池衡岳 きくち-こうがく
1747-1805 江戸時代中期-後期の儒者。
延享4年6月7日生まれ。紀伊和歌山藩士菊池家をつぐ。松崎観海にまなび,藩の儒官となる。寛政5年江戸藩邸内に新設された学館明教館の学則を制定。藩政にも関与し,11年新番頭となった。文化2年閏(うるう)8月16日死去。59歳。本姓は関口。名は禎。字(あざな)は叔成。著作に「君道編」「相豆紀行」など。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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菊池衡岳 (きくちこうがく)
生年月日:1747年6月7日
江戸時代中期;後期の儒者
1805年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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