日本歴史地名大系 「萩明倫館跡」の解説 萩明倫館跡はぎめいりんかんあと 山口県:萩市萩城下川島庄萩明倫館跡[現在地名]萩市大字江向新堀(しんぼり)川の南にあった、藩の教育機関。嘉永二年(一八四九)藩主毛利敬親によって堀内(ほりうち)にあった明倫館が当地に移転、再建された。ために新明倫館ともいう。今、面積約一万五千坪(約五ヘクタール)の地に明倫小学校・萩商業高等学校・裁判所・検察庁がある。旧館の一五倍余にあたる。天保年間(一八三〇―四四)の「八江萩名所図画」には南門を入ると右に二基の明倫館碑、正面に孔子を祀った聖廟とその北に水練(すいれん)池、東側に剣と槍の稽古場、天文地学・算術・柔術・兵学・礼式などの各教室、西側には小学舎・講堂・書庫などの建物が並び、馬場を挟んで北側半分の地に練兵場が描かれる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by