国(州、邦)によって制定された公教育制度における、国または地方公共団体による行政作用をいう。近代国家は教育を重要な関心事とし、その主要な部分を自らの立法的努力によって制度化するに至っている。いまや、それは学校教育だけでなく社会教育を、また、公立学校のみならず私立学校を含むものとして整備されている。この近代公教育制度の、国または地方公共団体による運営が教育行政である。
[岩下新太郎]
そこでは、一方において国家の理念やその現実、他方において教育の本質が基底的要因として問われることになり、次のことが教育行政の基本的課題としてあげられる。
(1)公教育制度形成の主体である国家の性格・意思・権限と個人の思想・信条の自由との関係(教育の中立性の問題)
(2)法令の形で示される国家の教育に関する意思の執行(狭義の教育行政)にとどまらず、国家意思の形成すなわち決定過程をも含めて教育政策そのものの検討
(3)行政機構としての中央教育行政機関・地方教育行政機関の組織・構成、相互の責任・権限
などである。
[岩下新太郎]
前述のような課題をもつ教育行政においては、国家の教育意思の具体的表現である教育政策、その実施方策としての教育制度・教育行政制度に、国民の意思と教育の論理がどのように、どの程度取り上げられているか、すなわち、教育制度・行政における民主性と専門性とが問題となる。この観点から諸外国の教育行政制度をみるならば、各国はそれぞれの歴史的社会的条件に規定されて独自のものをつくりあげている。
[岩下新太郎]
アメリカ合衆国の教育行政制度は、教育委員会制度であるといえる。教育に関する権限は各州にゆだねられ、州やカウンティcounty、市などの教育委員会が教育行政機関である。それらは、教育の地方分権、教権在民、教権独立、専門職員による専門的指導助言を中心とする運営を理念とし、教育方針決定に住民の意思を反映する仕組みと教育専門家である教育長・指導主事を中心とする運営体制とをつくりあげている。教育行政の民主性、専門性という観点からは一つの優れた方式といえる。
[岩下新太郎]
国は学校の教育課程を直接規制せず、教育内容について法律で規定されているのは宗教教育についてだけである。教育課程の決定や教科用図書の採択は校長や教員の手にゆだねられている。この点、イギリスは、教育の専門性と学校の自主性の尊重では、もっとも徹底した教育行政方式をつくりあげているといえる。
[岩下新太郎]
教育行政制度は中央集権を特色としており、教育内容についても国の規制が細部にまで及んでいる。教育行政単位は大学区・県からなっており、大学区長は管内の初等教育から高等教育までの最高の統一者で、大学教授から選任され文部大臣の職務を代行する。県には大学区視学官が置かれ、文部大臣・大学区長の職務を代行し、数人の初等教育視学によって補佐されている。これら教育行政担当官がいずれも教育者か教育専門家であるばかりでなく、教育行政機構の各段階(文部省、大学区、県)に教員を中心とする教育専門家によって構成された諮問機関が設置されている。このように、教育行政が高い専門性をもって運営されていることが、中央集権と並ぶフランス教育行政制度の特色である。
[岩下新太郎]
教育行政の内的事項は邦(州)で握り、外的事項は地方にゆだねる方式をとっており、内的事項に関する監督と指導とは、邦の教育専門職員である視学官によって行われた。最近は、視学官の任務の重点が国家(邦)的要求水準達成のための監督と統制から教員に対する協調と助言へと移り、地方公共団体・保護者・教員・一般人の参加による学校委員会設置への動きがみられる。すなわち、ドイツの教育行政制度は、内的事項については、中央集権(邦単位)を基本としながらも、イギリス的専門性、アメリカ的民主性を取り入れてきている。
[岩下新太郎]
中央教育行政機関は文部科学省、地方教育行政機関は教育委員会である。教育委員会は、第二次世界大戦後、アメリカ教育使節団報告書の勧告に基づいて、1948年(昭和23)公布の「教育委員会法」によって発足し、その後56年に根拠法が「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」と変わり改定されたが、戦後教育行政の理念を受け継ぐものとして、全国すべての都道府県、市町村(一部教育事務組合、共同設置教育委員会を含む)に設置されている。
わが国の教育委員会制度が掲げる理念は、アメリカの教育委員会制度と同じ(前述)であるが、それと基本的に異なる点は教育財政権をもたないことである。また、公正な民意の反映、設置単位の適正規模、教育長・指導主事の資格、教育指導体制の充実・整備などが制度上の課題となっている。
[岩下新太郎]
1984年(昭和59)第二次中曽根康弘(なかそねやすひろ)内閣は、教育改革を掲げ、総理大臣直属の諮問機関である臨時教育審議会(臨教審)を設置。「個性の重視」「生涯学習体系への移行」「国際化・情報化時代等の変化への対応」を改革の理念とし、85~87年に4次にわたる答申を提出した。また、1953年設立の文部大臣(現文部科学大臣)諮問機関である中央教育審議会(中教審)もそのつど答申を行い、生涯学習体制の整備、高等教育の多様化、初等・中等教育の充実と改革、教育行政の地方分権化などを推進している。
アメリカ合衆国では、1983年レーガン政権下で、「アメリカの優秀性(エクセレンス)に関する全米審議会」の報告書『危機に立つ国家』が出され、それに応えるものとして、86年教育と経済に関するカーネギー・フォーラム報告書『備えある国家、21世紀の教師』が提出された。さらに1989年G・H・W・ブッシュ政権は全米教育サミットを開催、教育荒廃・学力低下の改善を図って国家的目標を掲げた。このことは各州の教育行政改革の指針となった。
イギリスでは、日本の経済成長を意識したといわれるサッチャー首相のもと、1985年には教育の大改革が始まった。
いずれも新自由主義的立場にたった改革であり、中央政府の主導で、市場原理=自由主義という立場による改革を推進しようとした点が特徴的である。その原理は、サッチャー政権が行った改革にもっとも顕著である。具体的には、「教育の専門性と学校の自主性」の守護者であった地方教育(行政)当局の権限を、とくに以下の点、
(1)親の学校選択の自由
(2)消費者主義
(3)競争原理の導入
(4)教育科学大臣の権限の強化
(5)教育課程の国家基準の議定
などにより制限しようとしたものであり、各地方・地区の独自の方針による多様性というイギリスの伝統に、大幅な修正を迫るものであった。
これらのなかで、日本の教育行政の場合は、だれの、どのような自由のために、だれの権限を制限しようとしているのか、その意図がみえにくいという問題がある。
[木村力雄]
『日本教育法学会編『講座教育行政』全6巻(1981・協同出版)』▽『皇至道著『教育行政学原論』(1974・第一法規出版)』▽『相良惟一著『新版教育行政学』(1979・誠文堂新光社)』▽『鈴木英一著『戦後日本の教育改革3 教育行政』(1970・東京大学出版会)』▽『黒崎勲著『学校選択と学校参加――アメリカ教育改革の実験に学ぶ』(1994・東京大学出版会)』▽『小野田正利著『教育参加と民主制』(1996・風間書房)』▽『小川正人著『地方分権改革と学校・教育委員会』(1998・東洋館出版社)』▽『坪井由実著『アメリカ都市教育委員会制度の改革――分権化政策と教育自治』(1998・勁草書房)』▽『大桃敏行著『都市行政の専門化と参加・選択の自由』(2000・風間書房)』
中央・地方の公権力が教育政策の実現をめざして教育事業を組織し運営する日常的な活動をいう。日本を例にとれば,文部省や教育委員会などの教育行政機関が一定の法律や条例にもとづいて行う教育計画の策定,学校などの教育施設の設置・管理,教職員の養成・採用・管理,教育課程の基準の策定,教科書の検定・採用,教育予算案の作成と執行などの諸活動をいう。教育行政という社会的機能は,歴史的にみれば公権力がなんらかの形で教育事業に関与することにより生まれたが,公行政の一分野として近代的な教育行政の機構と機能が確立するのは,国民教育制度が組織される時期である。教育行政の確立は各国の国民教育の発達にとって必要不可欠であったが,その機構と機能の増大は,公権力がそれを通じて教育を政治的に統制することを可能にする。教育と教育行政の間にはこうした緊張関係があるため,多くの国では一般行政とはちがった教育行政のあり方が工夫されてきた。
日本の近代教育行政制度は,1871年(明治4)の文部省の創設と翌72年の〈学制〉によって発足し,大日本帝国憲法(1889)と教育勅語(1890)の制定を支柱として確立した。戦前の日本の教育行政は,学校制度や教育内容の基本を帝国議会にすらかけることなく勅令(天皇の命令)と文部省令によって決定するという勅令主義の採用をはじめ,教育行政の地方自治や父母・住民・教職員の行政参加をほとんど認めない中央集権的,官僚的性格のきわめて強いものであった。第2次大戦後の教育改革では,教育の平和的,民主的方向が宣言されるとともに教育行政の抜本的改革が行われた。改革の根本理念として,〈教育は,不当な支配に服することなく,国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである〉との自覚のもとに,教育行政は〈教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない〉ことが明示され(教育基本法10条),教育行政の民主化,地方分権化,一般行政からの独立が制度改革の3原則として打ち出されたのである。強大な権限をもってきた文部省はその権限を大幅に縮小され,原則として命令・監督を行わない指導・助言機関として改組され(文部省設置法),教育行政の主要な権限は都道府県と市町村に設置された公選制の教育委員会に移されたのである(教育委員会法)。しかし,文部省の〈復権〉を企図した文部省設置法の大改正(1952)と教育委員の公選制廃止を柱とする〈地方教育行政の組織及び運営に関する法律〉(1956公布。略称地方教育行政法)を契機に,戦後教育行政の民主的理念と制度は大きく後退し,ふたたび教育行政の中央集権的,官僚統制的性格が強められてきた。〈教育行政のいかんは全教育の死活を制する〉ともいわれる。教育行政における民主主義の後退は教育行政を硬直化・画一化させ,教職員と学校の自主性・創意性,教職員相互間および教師と父母・住民の協力・協働関係を抑制することを通して,子どもの発達を保障するという教育本来の機能を抑圧する。教育問題が社会問題として深刻化している今日,教育行政における民主主義があらためて問われている。
→教育財政 →教育の自由 →教育法
執筆者:三上 昭彦
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…学校を存在させている地(区)域のことであるが,大別すると二つの意味で用いられる。一つは教育行政の基礎単位としての学区,すなわち教育行政区(域)としての学区であり,他の一つは就学・通学の地(区)域としての学区,すなわち通学区である。前者の学区の典型はアメリカにみられるが,それは一般行政区域とは別に設けられる教育行政区域で,この学区school districtに教育委員会が設置される。…
※「教育行政」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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