萩蕪村(読み)はぎかぶむら

日本歴史地名大系 「萩蕪村」の解説

萩蕪村
はぎかぶむら

[現在地名]御殿場市萩蕪

かまど新田南東に位置し、村の東辺を南流する黄瀬きせ川の河岸段丘上に開けた村。延宝八年(一六八〇)の村鏡(勝間田家文書、以下断りのない限り同文書)には「当村之義は、駿河大納言様御代ニ、沼田村二子村両村より百姓弐人罷出、取立申候、当年迄六拾壱年ニ罷成候」とあり、徳川忠長の代の元和五年(一六一九)に開発されたとしているが、忠長の支配は寛永元年(一六二四)からで、記述に齟齬がある。ただし同村鏡の安永九年(一七八〇)の追記では開発年を元和六年としており、同九年には幕府検地を実施しているから、鍬下年季を三年間とすれば、同六年の開発とみることができよう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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