日本歴史地名大系 「萱方村」の解説 萱方村かやがたむら 埼玉県:坂戸市萱方村[現在地名]坂戸市萱方・厚川(あつがわ)・鶴舞(つるまい)三―四丁目厚川村の西、高麗(こま)川両岸にある。村名は茅方とも書く。永禄一一年(一五六八)二月一〇日の北条家裁許印判状写(武州文書)によれば、山角定勝の同心小窪六右衛門尉の訴えにより同人に入西(につさい)郡萱方一〇貫文の地の知行が安堵されている。田園簿では田一三四石余・畑六二石余、旗本朝比奈領。元禄一〇年(一六九七)から同一五年の間に川越藩となり、同年の河越御領分明細記では高一九七石余。宝永元年(一七〇四)同領を離れ、宝暦一二年(一七六二)から寛政七年(一七九五)まで三卿の清水領。 萱方村かやかたむら 佐賀県:鳥栖市萱方村[現在地名]鳥栖市萱方町(かやかたまち)・浅井町(あさいまち)村域は群石(むれいし)山東方の中・高位段丘と轟木(とどろき)川流域平地にわたり、集落は中位段丘上に立地する。観応三年(一三五二)の安楽寺領注進目録(大宰府神社文書)に「神辺庄同萱方村」とあり、安楽寺領の神辺(こうのえ)庄の内であった(→神辺庄)。応永二年(一三九五)には在地武士神辺式部少輔が当地を押領しているのを、少弐貞頼が停止させている(大宰府神社文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by