日本歴史地名大系 「萱生村」の解説 萱生村かようむら 三重県:四日市市北部地区萱生村[現在地名]四日市市萱生町・あかつき台(だい)一―四丁目山城(やまじよう)村の東、朝明(あさけ)川の南にある。村の北を朝明川に沿って菰野(こもの)街道が走り、西・南は丘陵が迫る。延元四年(一三三九)四月五日の後醍醐天皇綸旨(「紀伊続風土記」付録)によれば「伊勢国朝明郡萱生御厨地頭職太郎入道跡」が愛洲三郎左衛門宗実に勲功賞として与えられている。萱生御厨は「神鳳鈔」にはない。「五鈴遺響」は本能原(もとのはら)御厨があったとするが、これも「神鳳鈔」にはない。あるいは本能登御厨の誤りとも思われるが、この地に比定する典拠は不明。 萱生村かようむら 奈良県:天理市朝和地区萱生村[現在地名]天理市萱生町成願寺(じようがんじ)村東方、山辺(やまのべ)の道に沿う山麓村落。「萱生千塚」と称し、古墳群地帯として有名。「多聞院日記」天文一二年(一五四三)六月一九日条に「田舎之儀ニ付テ伊丹方ヘ下之処、萱生普請之間逗留シテ釜口(長岳寺)ニ留了」、同日記天正五年(一五七七)閏七月四日条に「南ヘ下、大和明神(大和神社)ヘ参、萱生・釜口ハカ参沙汰之」とみえる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by