朝日日本歴史人物事典 「落合後家尼」の解説
落合後家尼
鎌倉中期の武家の女性。信濃国(長野県)の落合某の後家。夫の没後,その遺領を巡って子息との間に争いが生じ,仁治1(1240)年5月,幕府は子息からの訴えを停止する裁決を下した。この親子訴訟は鎌倉幕府法上,子が親を訴える「告言の罪」は「教令違犯の重罪」であるという判例を確立させるきっかけとなったが,母親を父親と同じ「教令者」とみなしている点が注目される。
(鈴木国弘)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報