落野目村(読み)おちのめむら

日本歴史地名大系 「落野目村」の解説

落野目村
おちのめむら

[現在地名]藤島町豊栄ほうえい

藤島川右岸に位置し、南対岸は平形ひらかた村、東は八色木やいろぎ村。承久年間(一二一九―二二)に開村されたと伝えられる(藤島町史)。字西川原にしかわらにも数戸の集落がある。元和八年(一六二二)の酒井氏知行目録に落之目村とみえ高三一七石余、以後庄内藩領。寛永元年庄内高辻帳では高三一〇石余。元禄八年(一六九五)より寛政一二年(一八〇〇)に畑返しが五度行われた。弍郡詳記では免四ツ八分、家数四二。日向三右衛門は酒田本間氏や加茂かも(現鶴岡市)秋野氏に次ぐ大地主で、文政八年(一八二五)の庄内分限者番付(鶴岡市郷土資料館蔵)では大関にあげられている。


落野目村
おちのめむら

[現在地名]酒田市落野目

最上川下流左岸に接し、大宮おおみや村・遊摺部ゆするべ村の南対岸にある。天正年間(一五七三―九二)の開村と伝える。元和九年(一六二三)検地帳(落野目区有文書)によると、田七町六反余・畑一五町余、分米二二六石余。寛永九年(一六三二)加藤忠広領となり、その後の領主変遷大宮村に同じ。宝暦一四年(一七六四)には高二〇五石余、家数四九、うち百姓二六・水呑二二・名子一、人数三一三、馬四(「宗旨人別改帳」佐藤文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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