日本大百科全書(ニッポニカ) 「葉山尻遺跡」の意味・わかりやすい解説
葉山尻遺跡
はやまじりいせき
佐賀県唐津(からつ)市半田(はだ)字葉山尻に所在する弥生(やよい)時代早期~弥生時代中期の埋葬遺跡。唐津平野の南端に突出した飯盛(いいもり)山北麓(ろく)の標高20メートルの小丘陵の北斜面に位置する。1952、1953年(昭和27、28)松尾禎作(ていさく)らによって調査された。夜臼(ゆうす)式に始まり弥生中期に及ぶ墓地で、26基の甕(かめ)棺と5基の支石墓が確認された。支石墓は、2メートル弱×1.5メートル弱、厚さ40~50センチメートルの花崗(かこう)岩の上石を数個の支石で支えたものである。1号支石墓下には5基、近接して1基、計6基の甕棺が群在し、うち2基は直立倒置の埋葬法であった。2~4号支石墓下の埋葬施設は土壙(どこう)であるが、2号には弥生中期の甕棺が2基、3号には夜臼式の小形棺が2基近接していた。5号支石墓の支石の間からは板付(いたづけ)式の壺(つぼ)が発見されたが、内部の調査は行われていない。4号支石墓下土壙から打製石鏃(せきぞく)、1号甕棺から管玉(くだたま)、3号甕棺から鉄器片が発見されている。
[橋口達也]