出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
福島県会津若松市市街地の北東にある山。弁天山ともいう。磐越西線会津若松駅より約2.2km東方にあり,標高約372m。全山赤松におおわれている。1868年(明治1)戊辰戦争の折,白虎隊士20名が自刃(うち1名は蘇生)した地として知られ,1965年再建された鶴ヶ城(若松城跡,史跡)とともに会津観光の中心をなしている。この山は孤立した峰ではなく,その南東部はしだいに高くなり,猪苗代盆地と会津盆地の境にある標高800m前後の背あぶり高原に続いている。飯盛山はもともと宗像(むなかた)神社の神域であり,西の中腹に本社(明治以降は厳島神社と改称),宇賀神堂や通称さざえ堂と呼ばれている六稜三層の円通三匝堂(さんそうどう)(1796建立),および20名の白虎隊士が戸ノ口原の戦にやぶれ退いて来た時通った戸ノ口堰の洞門などがあり,その上手に白虎隊士の墓,イタリア首相ムッソリーニ寄贈碑,ドイツ武官碑,藩主であった松平容保(かたもり)の追悼歌碑などがある。
執筆者:大澤 貞一郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
大阪府中東部、大東市と四條畷市(しじょうなわてし)の境にある山。生駒(いこま)山地の一支峰。標高314メートル。金剛生駒紀泉国定公園(こんごういこまきせんこくていこうえん)に属す。西麓(せいろく)を東高野(こうや)街道が通り、京都を扼(やく)する要衝地として、南北朝から室町時代には山頂に城が構えられた。1334年(建武1)楠木正成(くすのきまさしげ)がここを攻略し、1348年(正平3・貞和4)楠木正行(まさつら)が麓(ふもと)の四條畷で戦死した。1532年(天文1)畠山(はたけやま)氏と細川氏の争奪の戦いがあり、1560年(永禄3)には三好長慶(ながよし)が居城を構えた。山頂に往時の石塁をとどめる。
[位野木壽一]
福島県中央部、会津若松市にある山。標高370メートル。この山の山麓(さんろく)部の緩斜地が、戊辰戦争(ぼしん)のとき会津藩の白虎隊(びゃっこたい)20名が自刃した地として知られる。若松城下からの白河街道(江戸街道)滝沢口近くに位置し、隊士の墓や厳島(いつくしま)神社、宇賀(うが)神社、円通三匝堂(さんそうどう)(さざえ堂)がある。
[安田初雄]
出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
…東は大村湾,西は五島灘,北は佐世保湾に面し,胴体部をなす西彼(せいひ)山地,東部と北西部の丘陵地,そして北部の溶岩台地に区分できる。西彼山地は黒色の結晶片岩からなる標高400m前後の隆起準平原で,飯盛山(531m),焼山(416m)などは準平原面上の残丘である。北部の玄武岩からなる溶岩台地は標高200m前後で,中央の虚空蔵(こくぞう)山(307m)は台地上に噴出した火山砕屑丘である。…
※「飯盛山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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