20世紀日本人名事典 「葛西嘉資」の解説 葛西 嘉資カサイ ヨシスケ 昭和期の厚生官僚,社会福祉事業家 元・厚生事務次官;元・日本赤十字社副社長;元・社会福祉事業振興会長。 生年明治39(1906)年4月17日 没年平成13(2001)年4月29日 出生地新潟県 学歴〔年〕東京帝国大学法学部〔昭和4年〕卒 主な受賞名〔年〕紺綬褒章〔昭和33年〕,勲一等瑞宝章〔昭和51年〕 経歴昭和4年内務省に入省。21年厚生省社会局長を経て、23年厚生事務次官。26年退官。28年日赤副社長、37年社会福祉事業振興会長、45年厚生行政顧問、日本児童福祉給食会理事長、56年医薬品副作用被害救済基金理事長。この間、39年東京パラリンピック運営委員会会長、のちハンセン病救済に取り組む財団法人・藤楓協会会長も務めた。著書に「アメリカの社会事業を見て」「クララ・バートン」など。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「葛西嘉資」の解説 葛西嘉資 かさい-よしすけ 1906-2001 昭和時代の官僚。明治39年4月17日生まれ。昭和4年内務省にはいり,13年新設の厚生省にうつる。社会局長をへて23年事務次官となる。生活保護法,児童福祉法などの制定に従事。28年日本赤十字社副社長,37年社会福祉事業振興会会長。39年パラリンピック運営委員会会長。のち日本児童福祉給食会理事長。医薬品副作用被害救済基金理事長。平成13年4月29日死去。95歳。新潟県出身。東京帝大卒。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例