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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
憲法25条にもとづき,国が生活困窮者の最低生活を保障する制度。第2次大戦後,多年の戦争の惨禍と敗戦にともなう膨大な困窮大衆が出現した1945年(昭和20)12月,政府はGHQの指導のもと,緊急援護の予算措置を開始するとともに,救済福祉計画をGHQに提出。46年GHQは国家責任,民間への責任転嫁禁止,無差別平等,必要・十分の公的扶助に関する4原則を掲げ,これをうけて第90帝国議会で9月生活保護法が成立した。これにともない戦前からの救貧諸立法は廃止された。49年社会保障制度審議会の「生活保護制度の改善強化に関する勧告」をうけて,翌年現行の生活保護法が成立した。すべての国民が国家の責任において,平等に健康で文化的な最低生活を維持できることをめざした。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…この訴訟では,憲法25条で定める生存権と,そこでいわれている〈健康で文化的な最低限度の生活〉の保障を実現するための公的扶助制度(生活保護制度),生活保護基準内容,厚生大臣による基準決定の法的性格などが争われ,一審(1960)は原告勝訴,二審(1963)は原告敗訴となったが,上告中原告が死亡し,最高裁大法廷は,争われた生活保護とその受給権は朝日茂の一身専属的な権利であり,養子夫妻の訴訟承継対象たりえないという理由で,原告敗訴の判決を下した。さらに最高裁判所は,〈念のため〉として,憲法25条の法的性格をプログラム的性格,すなわち国の国民に対する道義的責任の宣言と判断し,その生存権保障の具体化とそれにもとづく具体的権利は生活保護法によって与えられるとした。この訴訟は,当時,人間裁判と呼ばれ,広く全国民的な支持をえた憲法擁護のための訴訟運動をもひき起こし,その後の生存権とその具体的制度化をめぐって争われる社会保障訴訟とそのための運動の先駆となった。…
…前者から〈家〉制度に代わる社会的安定装置として〈現実の家族=世帯を社会保障の全面的充実で強化〉(1950年,社会保障制度審議会勧告)することを,後者から〈社会保障制度の充実は最小限とし,世帯への依存を高める〉(1954年,自民党憲法調査会)という趣旨の両極の路線が出てきた。これが実務では,1950年の住民登録法と51年の新生活保護法の〈親族扶養優先原則〉および世帯単位原則により世帯扶養共同体が,〈家〉に代わって登場し,後者の路線に乗ることになる(扶養)。高度経済成長は,急速な労働力の都市への集中により,家族と地域社会の相互扶助の急激な崩壊をもたらした。…
…イギリスの1601年エリザベス救貧法は全国的に制度化された公的扶助の嚆矢(こうし)であるといってよく,救貧制度として幾度かの改正を経て,1948年国民扶助法に至り,前述の狭義の公的扶助が確立した,といってよい。日本についていえば,1874年恤救規則から1929年(施行は1932)の救護法を経て,戦後の生活保護法に至る過程である。 公的扶助という用語が日本に定着したのは,第2次大戦後の占領軍公衆衛生福祉局の使用による。…
…生活保護法(1950公布)に基づく生活困窮者に対する最低生活保障制度。日本の生活困窮者に対する救済制度は大宝律令(701)までさかのぼりうるが,近代の公的扶助制度の端緒としては明治政府が1874年に制定した恤救(じゆつきゆう)規則が挙げられる。…
※「生活保護法」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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