葦原将軍(読み)あしわらしょうぐん

改訂新版 世界大百科事典 「葦原将軍」の意味・わかりやすい解説

葦原将軍 (あしわらしょうぐん)
生没年:1850-1937(嘉永3-昭和12)

明治・大正・昭和の3代にわたる56年間,巣鴨病院とその後身の松沢病院に入院しつづけた名物患者で,みずから〈葦原将軍〉と名のった。本名葦原金次郎。高岡藩士の三男として生まれ,埼玉県深谷の櫛問屋に奉公したが,まもなく精神に異常をきたし,入院させられた。院内では,誇大な妄想的言辞を常とし,金モールつきの大礼服を着て,謁見料を取り,見学者に拝謁させ,あたかも皇帝のような〈お言葉〉を賜り,部下に代筆させた勅語を売りさばいた。日露戦争の当時は〈ブリキ板で軍艦を造り,その間に鉛をつめれば,敵弾が貫通しても,溶けた鉛は海水ですぐ固まるので浸水しない〉という不沈艦の構想を提案したりして,東京市民の人気を集めた。担当医により,統合失調症,パラノイア躁病など,さまざまな診断がつけられたが,死後解剖による検査でも脳組織病理学的に特別の変化はなかったという。墓は東京都世田谷区の豪徳寺にある。
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