日本の代表的な公立精神病院。東京都立。日本で最初の公立精神病院として1875年(明治8)に京都癲狂(てんきよう)院が設立されたが,同院は財政的窮迫のため82年に廃院となったので,松沢病院は現存するものとしては最古の歴史をもつ。75年に養育院(東京府の窮民収容施設)内に瘋癲(ふうてん)人収容のため狂人室が設けられたが,これが松沢病院の前身で,79年に東京府癲狂院として独立した。81年には本郷の向ヶ岡に移転し,86年にはさらに小石川区巣鴨駕籠町に移り,89年に巣鴨病院と院名を改称した。それより先1887年から東京帝国大学医科大学の精神病学科が治療を負担することになり,そのときから医長制が敷かれた。1901年には東大教授呉秀三が医長となり,手革・足革等の強制具の使用を廃止して患者の開放的処遇を進め,作業療法を導入するとともに,看護面の改革を断行し,服務規則をつくった。04年に院長制が復活し,呉院長によって欧米の精神病院に劣らぬ病院の建設が図られ,患者1人当り100坪,1000人収容を目標とする土地として荏原郡松沢村(現在の世田谷区上北沢)が選ばれた。
19年に巣鴨から松沢に移転し,病院名は東京府立松沢病院と改称された。病棟は分棟式で,病状による収容病棟の機能分化が図られ,開放的処遇が進められた。36年,東大教授内村祐之が第7代院長となったが,以後戦争のため厳しい情勢下におかれた。49年,公務員法により東大教授の兼任が不可能となり,林暲が専任院長となった。以後,江副勉,詑摩武元,岡田敬蔵,秋元波留夫,加藤伸勝,金子嗣郎,風祭元が院長を務めている。第2次大戦後は病棟開放化運動が展開され,62年から病棟の全面改築が進められ,身体合併症・救急病棟,痴呆性老人・アルコール病棟,リハビリテーション病棟などが完成している。また敷地内に,72年には世田谷リハビリテーションセンター(現,東京都立中部総合精神保健福祉センター)が,翌年には精神医学総合研究所が併設され,名実ともに精神科の診療と研究の中心的存在となっている。
執筆者:加藤 伸勝
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
東京都立の精神科専門病院。1879年(明治12)、当時、上野公園内にあった東京府養育院の癲狂(てんきょう)室を借りて、東京府癲狂院として発足、81年向ヶ丘に移転、86年小石川区巣鴨駕籠(すがもかご)町に移転。89年東京府巣鴨病院と改称。1919年(大正8)府下松沢村(現世田谷(せたがや)区上北沢)に移転して東京府立松沢病院となり、43年東京都立松沢病院と改称し、現在に至っている。なお、1882年京都癲狂院が廃止され、1924年(大正13)に県立鹿児島保養院が開設されるまで、松沢病院は道府県立の精神科病院として唯一のものであった。
1887年から1918年まで、東京府癲狂院(巣鴨病院)内に帝国大学の精神病学教室が置かれ、患者の治療は同大学の責任で行われていた。松沢移転後はこの関係は解消されたが、その後、49年(昭和24)まで同大学の精神病学担任教授が院長を兼ねる慣習が続いた。第二次世界大戦前の指導的精神医学者の多くが、ここ(とくに巣鴨病院)から巣立ち、一時期「精神医学のメッカ」と称されていた。
[岡田靖雄]
『岡田靖雄著『私説松沢病院史』(1981・岩崎学術出版社)』
…東京における精神病院の最古のものは1846年(弘化3)奈良林一徳の開設した狂疾治療院といわれている。現存する日本の公立病院の最古のものは東京府癲狂院(現,東京都立松沢病院)である。1996年現在における日本の精神病院数は1667,病床数は36万1053であり,人口1万対28.8床となり,イギリスの1万対14.8床より多い。…
※「松沢病院」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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