蒲形庄(読み)がまがたのしよう

日本歴史地名大系 「蒲形庄」の解説

蒲形庄
がまがたのしよう

蒲郡町付近。「吾妻鏡」元暦二年(一一八五)二月一九日条に、

<資料は省略されています>

とある。この記事から当庄は竹谷庄とともに、藤原俊成によって開発されたことがわかる。藤原俊成は久安元年(一一四五)一二月より同五年四月の間三河守の官にあり、おそらく遥任であってほとんど在京していたらしいが、目代らに命じてこの両庄を開発させ、立券して自己の荘園としたのであろう。その後俊成は当庄を熊野くまの神社に寄進し、熊野別当湛快が領有することになった。湛快は両庄を娘に譲与し、この女子は初め別当行快の妻であったが後平忠度に再嫁したので、両庄とも平氏一門領となる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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