古代の地方官制度の展開の中で起こった事象で,本人は在京しながら,地方官に任命され,その収入をうることをいう。律令制下においては,地方官に任命されれば,任地に赴くのが原則であったが,8世紀前半期において,特例的に京官に地方官を兼ねさせ,経済的な優遇をすることがあった。8世紀後半以降になると員外国司や権任国司の盛行とともにそのような例はますます増加した。平安時代には,要職とされる一定の官職にある者には,一定年限を経ると必ず国司を兼ねさせるという慣例もでき,京官を兼ねなくとも赴任を免除されるものも出現した。さらに10世紀ころに至って受領(ずりよう)制が成立し,国衙の権限が受領に集中するようになると,非受領の国司の赴任はますます減少し,国司の大部分が遥任という状態となる。また,このような傾向と並行して,国衙の実務を担当するために留守所が発展していった。
執筆者:玉井 力
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遥授とも。地方官(おもに国司)が,任命されたのちも赴任の義務を免除され,在京のまま得分のみをうけること。赴任して執務をする受領(ずりょう)に対する語。奈良時代の員外国司・権任国司の制に始まるとされるが,826年(天長3)の親王任国制が遥任を前提としているように,平安初期にはすでに制度として成立していた。そのねらいは,中央財政の窮乏にともない苦しくなった京官の待遇を,公廨稲(くげとう)の配分によって改善することにあり,平安中期にかけてますます盛んになった。
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[変質]
この国司制は平安時代に入ったころから,中央集権的支配の弛緩に伴って,しだいに変質していった。そのおもな原因の一つは国司の給与の増大で,奈良時代からもっぱら収入を目的とする員外国司,権任国司など,定員外の国司の任命が始まり,また平安時代に入って826年(天長3)に上総,常陸,上野を親王任国とし,その国守の親王を太守と呼び,太守は京にいてただ俸料のみを受けることにしてから,いわゆる遥任の例が生じた。この遥任の風は,その後各種の京官が収入を目当てに国守を兼帯することによってますます盛んとなったが,その場合には国守は腹心の者を目代(もくだい)として任国に派遣し,介以下の在庁官人によって構成される留守所(るすどころ)を指揮させることが行われた。…
※「遥任」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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