日本歴史地名大系 「蒲生湊」の解説 蒲生湊がもうみなと 宮城県:仙台市旧宮城郡地区蒲生村蒲生湊[現在地名]仙台市蒲生七北田(ななきた)川末流の湊で、「封内風土記」によれば入海となっていた。近世、舟運による諸郡の租米は、舟入堀(貞山堀)によって当湊の米蔵に収納され、同川をさかのぼり、鶴巻(つるまき)からは舟曳堀によって苦竹(にがたけ)の米蔵に運び、さらに牛車で仙台城下分の原町(はらのまち)米蔵に荷送された。舟入堀は牛生(ぎゆう)(現塩竈市)より大代(おおしろ)(現多賀城市)を経て当湊に入るもので、寛文四年(一六六四)に蒲生村の開発に努めた和田織部や佐々木伊兵衛が測量を始め、同一三年に竣工したとされる(仙台市史)。掘削作業は湿地帯のため難航したとされる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報