日本歴史地名大系 「蒲生田村」の解説 蒲生田村かもうだむら 山形県:南陽市蒲生田村[現在地名]南陽市蒲生田・上野(わの)宮内(みやうち)村の南にあり、南は中落合(なかおちあい)村・若狭郷屋(わかさごうや)村。吉野(よしの)川右岸に本村、左岸に枝郷の上野がある。もと宮内新田と称したが、大永二年(一五二二)蒲生賞積が近江より来住し、享禄二年(一五二九)その子賞範が新田を蒲生田に改めたといい、当時の家数二六(沖郷村史)。館(たて)ノ内(うち)・二(に)ノ丸西門口(まるにしもんぐち)の地名は当時の館にちなむと思われる。天文二二年(一五五三)の晴宗公采地下賜録によれば、鹿俣助七郎の所領のうちに「かもふ田の内、切田千かり」がある。天正一三年(一五八五)の北条段銭帳では「北条之内、かまふた粟野源六郎ふん并寺家分添候て、三万五千三百八十苅役」分の段銭は八貫八四六文であった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by