改訂新版 世界大百科事典 「蓋鹵王」の意味・わかりやすい解説
蓋鹵王 (がいろおう)
Kae-ro-wang
生没年:?-475
朝鮮,百済の王。〈こうろおう〉とも読む。在位455-475年。諱(いみな)は慶司。中国史書には余慶とあり,《日本書紀》では加須利君とも記す。457年,みずから宋に封冊を求めて鎮東大将軍に任ぜられ,翌458年には重臣11人の任官も要請するなど,国際社会における地位の強化と国内支配の権威づけにつとめた。しかし当時高句麗の南下が著しく,472年には高句麗への出兵を魏に要請したがいれられなかった。そして475年高句麗長寿王の軍勢によって王都漢城(広州)がおとされ,蓋鹵王は斬殺された。百済は錦江中流の熊津(公州)に都を移し,かろうじてその命脈を保った。蓋鹵王の戦死は王権の危機を招き,国都の南遷を契機に支配勢力の構造は大きく変化していった。
→百済
執筆者:木村 誠
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報