蕉夢庵跡(読み)しようむあんあと

日本歴史地名大系 「蕉夢庵跡」の解説

蕉夢庵跡
しようむあんあと

[現在地名]不知火町長崎 桂原

宇土支藩五代藩主細川興文(月翁)が建てた別荘。小高い山に挟まれ渓流に臨み、山間から不知火海を指呼の間に望む。興文はとどろき水道の改修、殖産奨励、温知館・武館の設置など多くの業績を残したが病気を理由に明和九年(一七七二)四八歳のとき隠居、翌安永二年にこの草庵を建て蕉夢庵とよんだ。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

企業の退職を希望する従業員本人に代わって退職に必要な手続きを代行するサービス。依頼者と会社の間に入ることで円滑な退職をサポートするとともに、会社への連絡などを代わりに行うことで依頼者の心理的負担を軽減...

退職代行の用語解説を読む