朝日日本歴史人物事典 「薗田守良」の解説
薗田守良
生年:天明5.11.19(1785.12.20)
江戸後期の神道学者。伊勢国(三重県)度会郡宇治の人。荒木田守諸の子。本姓は荒木田氏。幼名は隠岐麿。通称は大弐。名は初め守稲と称し,のちに守良と改めた。号は西園。伊勢内宮の禰宜家に生まれ,寛政6(1794)年皇大神宮権禰宜となる。文化9(1812)年禰宜に進み従四位下に叙された。神宮の故実に通じ,また古代の律令法制の研究家でもあった。<著作>『新釈令義解』『神宮典略』『内宮禰宜年表』『外宮禰宜年表』<参考文献>『宇治山田市史』,利光三津夫『律令制とその周辺』,律令研究会編『新釈令義解』解題
(白山芳太郎)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報