薩摩若太夫(読み)サツマ ワカダユウ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「薩摩若太夫」の解説

薩摩 若太夫(10代目)
サツマ ワカダユウ


専門
説経浄瑠璃

肩書
薩摩流説経浄瑠璃家元 東京都指定重要無形文化財保持者(説経浄瑠璃)〔昭和58年〕

本名
内田 総淑(ウチダ ソウシュク)

出身地
東京都 八王子市

経歴
18歳で薩摩流説経浄瑠璃の薩摩駒和太夫弟子入り、昭和37年10代目若太夫を襲名。58年5月、都の無形文化財の指定をうけた。

没年月日
昭和59年 1月2日 (1984年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

朝日日本歴史人物事典 「薩摩若太夫」の解説

薩摩若太夫(初代)

没年:文化8(1811)
生年:生年不詳
江戸中・後期説経節の太夫。江戸本所四ツ目の商人通称米千。廃絶していた説経節を山伏から習い,文化6(1809)年に芝居興行を行ったが,続かなかった。説教節はその後,関東地方民俗芸能として継承された。名跡は八王子車人形一座で一時活躍した昭和期の10代目(本名内田総淑)におよぶ。

(竹内道敬)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「薩摩若太夫」の解説

薩摩若太夫(初代) さつま-わかたゆう

?-1811 江戸時代後期の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
江戸の商人。とだえていた説経節を再興し,文化6年芝居興行をおこなうが,一時的なものにおわった。文化8年死去。通称は米千(よねせん)。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の薩摩若太夫の言及

【説経節】より

…元禄(1688‐1704)ころには天満重太夫,武蔵権太夫,吾妻新四郎,結城孫三郎らが出たが,享保(1716‐36)ころ,2世石見掾藤原守信あたりを最後として,江戸の説経座(劇団)は衰えたらしい。なお,江戸では寛政(1789‐1801)ころ,祭文(さいもん)と説経節とを結びつけた説経祭文がおこり,享和(1801‐04)ころには,この系統から薩摩若太夫が出て説経芝居を再興したが,すぐに衰え,その遺流がわずかに伝えられて,明治期に入って若松若太夫が出た。前者の流れを薩摩派といい,後者の流れを若松派という。…

※「薩摩若太夫」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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