改訂新版 世界大百科事典 「藉田」の意味・わかりやすい解説
藉(籍)田 (せきでん)
jí tián
中国において親桑とともに勧農と豊饒を祈願するための農耕儀礼。《周礼(しゆらい)》や《礼記(らいき)》などにすでにその記事が認められるが,前漢文帝の治世以後実施されるに至った。新石器時代以来の社会通念である〈夫耕婦績〉にのっとって,皇帝が藉田を,皇后が親桑(親蚕とも言う)の儀礼を分担する。皇帝と皇后とは夫婦として性別による分業を示し,天下の匹夫匹婦に農桑に努むべきことを教導した。藉田親桑とも三春(1月,2月,3月)のうちに執行された。皇帝はまず神農炎帝をまつり,耒耜(らいし)をもって鋤起しの所作を行い,公卿大夫士庶がこれに倣って藉田1000畝の鋤起しを完了する。皇后は内人および公卿諸侯の妻妾とともにみずから採桑および養蚕の模擬行為を行うかたわら蚕神をまつった。藉田親桑の儀礼は,形式を変えつつ歴代の王朝にも引き継がれ,また東アジアの各国に伝来した。正倉院には孝謙上皇所用の〈子日手辛鋤(ねのひのてがらすき)〉と〈子日目利箒(ねのひのめときのははき)(玉箒)〉が架蔵されている。
執筆者:上田 早苗
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報