農耕儀礼(読み)のうこうぎれい(英語表記)agricultural rites

精選版 日本国語大辞典 「農耕儀礼」の意味・読み・例文・類語

のうこう‐ぎれい ノウカウ‥【農耕儀礼】

〘名〙 農作業の経過に応じて農神をまつり豊作を祈願する種々の神事。予祝、播種、田植、防災、収穫などのまつり。

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デジタル大辞泉 「農耕儀礼」の意味・読み・例文・類語

のうこう‐ぎれい〔ノウカウ‐〕【農耕儀礼】

豊作を祈って行われる儀礼・祭事。予祝儀礼から収穫感謝祭に至るまで、農作物の生長段階に応じて営まれる一連の儀礼をいう。

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改訂新版 世界大百科事典 「農耕儀礼」の意味・わかりやすい解説

農耕儀礼 (のうこうぎれい)
agricultural rites

農作物の主要な栽培過程に行われる一連の儀礼。麦や稲,アワ,トウモロコシなどの穀物を対象とする儀礼と,タロイモヤムイモ,その変種のサトイモなどを対象とする儀礼に大別される。麦作儀礼はオリエントやヨーロッパなどの旧大陸にひろく分布しているが,稲作儀礼は日本を含む東アジアや東南アジアの大陸部や島嶼(とうしよ)部に,アワ作儀礼は東アジアや南アジア,アフリカなどに,トウモロコシの儀礼は北米や中南米などの新大陸に分布している。また,いも類の儀礼はミクロネシアやポリネシア,メラネシアなどのオセアニアの根栽農耕民の間で行われている。

 どの儀礼も,農作物の生育や豊穣の祈願,収穫の感謝などを目的としたもので,人々の希望を達成するために行われる強化儀礼であるが,いも類の儀礼は,麦作儀礼や稲作儀礼などが盛んに行われているのに対して,あまり発達していない。いも類の栽培過程が,播種から収穫に至る周期性を欠いているからであろう。こうしたいも類の儀礼を除くと,農耕儀礼には,穀物の擬人化や死と再生の観念が重要なモティーフになっている。土地にまかれた種子が芽生え,生育し,やがて多くの実を結んで死滅してゆく過程を観察することによって,穀物にも霊魂や精霊が宿っていて,それが年ごとに死んではよみがえるという観念が導き出されたのであろうが,こうした観念は,古代オリエントに誕生し,旧大陸の文明の形成や発展に大きな役割を果たした麦栽培民の神話や儀礼のなかに顕著にみられる。

バビロニア神話では,植物を擬人化したタンムズドゥムジ)が,豊穣と生殖の女神イシュタルの夫とされているが,彼は毎年,死んでイシュタルといっしょに冥界に降り,再び地上によみがえって再生すると考えられていた。そして,植物が枯れて死ぬ夏の盛りに,タンムズの祭りが行われ,人々は臼でひき砕かれたこの穀物の神の死を嘆くが,数日後には,タンムズの再生を祝う宴が行われた。古代エジプト神話には,穀神オシリスは弟のセトに殺されて身体を寸断されるが,妻の大地母神イシスは,彼の死体を探し求めて,よみがえらせると伝えられているように,穀神オシリスは毎年,大地にまかれ,新しい生命としてよみがえって実を結ぶ穀物のシンボルであった。

ヨーロッパ農民の間では,麦が擬人化され,麦霊の死と再生を象徴した豊穣儀礼が行われている。麦の収穫が終わると,最後に刈り取られた麦束は〈麦のおばあさん〉とか〈麦のお母さん〉などとよばれ,そのなかに麦霊とみたてられた人間を包み込み,その首を鎌ではねるような動作をして麦霊の再生を促したり,あるいは,最後の麦束で人形をつくり,これに少女の着物を着せ,〈穀物の女王〉とよんで村中をかつぎまわって川に投げ込んだりするように,最後の麦束には,豊穣をもたらす呪術的な力が込められていると信じられている。また,最後の麦束の中に,麦霊の化身として,ヤギや豚,牛,馬などの動物が隠されているとも伝承されている。

東南アジアの稲作儀礼は,日本の稲作儀礼と同じように,播種や田植,収穫の儀礼を基調としているが,稲もまた麦と同じように擬人化され,男女の稲の結婚によって子稲が生まれると考えられている。インドネシアのバリ島やロンボク島では,収穫のとき,一部の稲を刈り取って男女二つの束に分ける。男の束は葉が見えないように糸で巻かれるが,女の束は葉を垂らして女の髪の毛を束ねたように結ばれる。二つの束は夫婦稲とみたてられ,納屋に運ばれて台の上に安置されるが,そのとき〈休まず産めよ,殖えよ〉と唱える。マレー半島の一部では,母稲が子稲を産むと信じられている。稲の刈入れのとき,母稲と決められた稲束の中から7本の稲穂が子稲として選ばれ,これを女性が籠に入れて家に持ち帰る。家では,子稲のために新しい寝床を用意する。母稲も子稲と同じように大事に取り扱われ,この束から取った少量の稲粒は,翌年,まかれる種子とまぜあわされる。台湾の中部山地に住むブヌン族アタヤル族北ツォウ族はアワ栽培民だが,彼らのアワ作儀礼は一様でない。ブヌン族には神観念が発達していないので,アワそのものへの呪術的な働きかけをするだけだが,アタヤル族ではウトゥフとよばれる祖霊に収穫を祈願することに主眼が置かれている。また,神観念が発達し,その分化の著しい北ツォウ族では,農耕に関係する神々への祈願が行われている。

新大陸の文化の形成に大きな役割を果たしたトウモロコシ栽培とその儀礼にも,穀物の擬人化や死と再生の観念がみられる。14世紀後半にメキシコ高原に文明を形成したアステカ族は,複雑な神話体系と多彩な農耕儀礼を生みだしたことで知られているが,彼らは毎年,秋の収穫が近づくと,豊穣神・地母神トラソルテオトルの再生の祭りを行い,この神に扮した1人の女性が犠牲にされると,1人の神官がその皮を身にまとい,その腿(もも)の皮を新しく生まれる穀神シンテオトルに扮する青年の頭にかけて,穀物の死と再生の劇を演じた。北アメリカの南西部に住むナバホ族の間では,トウモロコシの種まきに先立って種の祝福の儀礼が行われる。彼らは特別に設けられた小屋に種トウモロコシを持ち寄って積み上げ,男性と女性にみたてたトウモロコシの上に,白と縞(しま)の石をひいた粉を振りかけて,呪術師を中心に祝福の祈禱を行う。そして翌日,彼らは各自の種トウモロコシを持ち帰る。

 いも類の儀礼には,麦や稲,トウモロコシの儀礼のように,擬人化や死と再生の観念が発達していない。ミクロネシアのパラウ島やヤップ島では,タロイモやヤムイモの植付けのとき,いもの神に苗の成長が祈願される。

日本の農耕儀礼は稲作儀礼が基調になっているが,かつて農民の主食であった麦やアワ,ヒエ,いも類の儀礼もしくはその痕跡と思われる行事もいろいろ行われている。西日本の一部では,1月20日を〈麦正月〉といって,麦飯ととろろ汁を食べて麦畑に出かけ,そこに蓑(みの)を敷いて麦の実が満ちた状態の所作を行った。東日本では,1月20日は〈粟穂(あわぼ)・稗穂(ひえぼ)〉といって,ヌルデの木を10cmくらいに切り,皮をむいて白くしたものを粟穂,皮つきのものを稗穂にみたてて,割竹の先にさしたり,藁(わら)で結んだりして庭前に立てる。いずれも麦やアワ,ヒエの豊作を祈願した行事である。陰暦八月十五夜もまた〈芋名月〉とよばれ,供物としてサトイモが用いられているように,かつてはサトイモの収穫儀礼であった。こうした穀物やいも類の儀礼は,奄美や沖縄の島々でいまでも盛んに行われている。なかでも麦とアワの収穫儀礼の発達が著しく,毎年収穫期になると,女性神役が聖地で豊作の感謝と祈願を行っている。いも類のなかでもサツマイモの栽培が盛んで,収穫のたびに,女性神役によって収穫感謝祭が営まれている。
稲作文化
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「農耕儀礼」の意味・わかりやすい解説

農耕儀礼
のうこうぎれい

農耕の生産過程の折り目ごとに営まれる信仰的儀礼をいう。日本の農耕の中心は水稲栽培であり、農耕儀礼も稲作に重点が置かれてきた。稲米栽培の展開にしたがっておもな儀礼を記すと、予祝、播種(はしゅ)、田植、推移、収穫の五段階の儀礼に分けられる。予祝儀礼とは、年頭にあらかじめ稲作の豊饒(ほうじょう)を祈っておく儀礼で、形式的に田を三鍬(くわ)耕し、餅(もち)や焼き米を供えて豊饒を願う祝い言を唱えたり、松葉を苗に見立てて田に挿したりする。また、小(こ)正月には餅花(もちばな)づくり、庭田植、鳥追いなど、多くの予祝儀礼が営まれる。播種儀礼としては、種子籾(もみ)を苗代に播(ま)いたあと、水口(みなくち)に供え物をして祝い、ついで苗代の中心部に田の神の依代(よりしろ)として斎串(いみぐし)を立てる儀礼がある。田植儀礼には、田の神を迎え、また送る儀礼が注意をひく。中国地方の山間部に伝えられる大田植・花田植の儀礼(囃田)は、田植が神事であったことをよく示している。推移儀礼としては、虫害駆除のための虫送り、干魃(かんばつ)に備えての雨乞(あまご)い、長雨に際しての日和(ひより)乞い、台風の被害を避けるための風祭などが営まれる。収穫儀礼としては、八朔(はっさく)(8月1日)または社日(しゃにち)に穂掛けの儀礼、ついで10月の亥(い)の日や十日夜(とおかんや)(10月10日)に刈り上げの祝いが営まれる。稲扱(こ)きが済んだ段階で扱き上げ祝い、脱穀が済んでの庭上げ祝いなどがあって、収穫の諸儀礼が終了する。なお、日本を含めて東南アジアの島嶼(とうしょ)地帯の稲作諸民族の間には、夫婦稲(ふうふいね)とか母稲・子稲という観念と、それに基づくさまざまな儀礼が広く分布している点が注目される。沖縄八重山(やえやま)列島では、稲積みと人間の産室とを同じくシラとよんでいる。それら諸儀礼を通じてうかがえることは、穀母が穀童を産み育てて続いてゆくとの信仰、さらには死と再生というモチーフの存在であろう。

 畑作儀礼としては、麦、粟(あわ)、稗(ひえ)、里芋(さといも)などの栽培に伴うものがあるが、稲作儀礼と比較すると簡略化されている。しかし水稲栽培普及以前の状態を考えれば、日本においても畑作・焼畑の占める比重は大きなものがあった。粟や稗については、現在でも正月行事に粟穂・稗穂を飾る土地が点々とある。また旧八月十五夜を芋名月とよぶ地域は広く、里芋を供える儀礼が顕著である。元来タロイモ系統の芋の収穫祭であった八月十五夜の祭儀が、水稲栽培の普及に伴って、稲の収穫儀礼に結び付くようになったものと考えられる。タロイモ系統の芋の収穫祭は、中国大陸の山岳地帯に住む多くの少数民族の間で、大きな比重を占めており、比較研究すべき問題である。

[直江広治]

『伊藤幹治著『稲作儀礼の研究』(1974・而立書房)』『にいなめ研究会編『稲と祭儀』(1967・協同出版)』


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「農耕儀礼」の意味・わかりやすい解説

農耕儀礼
のうこうぎれい

植物,特に食用植物に関する宗教的行事。特に穀物は耕作方法に多くの労があるため,特殊な宗教的行事の発展がみられる。インドのムンダ諸族,ボルネオのダヤク諸族,フィリピンのカリンガ族などの焼畑農耕民では,農作業の諸段階ごとに,占い,夢判断,動物供犠などを行い,厄災の防除や豊作を祈願する。その際,血と灰に呪術的な意味をもたせる点に特徴がある。日本をはじめ東南アジアの水田農耕民においては播種,苗代づくり,田植え,防虫害,収穫などの各段階でその都度神を祀り,また供物や最初の収穫物を捧げて,厄よけと豊作を祈念する行事を行う。日本では,いわゆる年中行事がこれにあたるが,中国の暦法が受容される以前は,原初的な歳時風俗は農耕儀礼を母体としていた。特に田の神が春2月の満月の日に山から里に降り,冬 11月に田から再び山に帰るという信仰が,全国的にほぼ一様に認められる。宮廷の2月初めの祈年祭と 11月下弦の新嘗祭 (にいなめさい) とが民間の神送迎の祭りと時を同じくするのも,こうした習俗に基礎をおくものといえる。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「農耕儀礼」の解説

農耕儀礼
のうこうぎれい

農業の生産工程の折目ごとに生産の無事・豊穣を祈願し,収穫を感謝するための祭祀儀礼。日本では稲作と畑作の場合があるが,主要な儀礼は稲作に関連する。「魏志倭人伝」の裴松之(はいしょうし)の注に「その俗正歳四時を知らず,但し春耕秋収を記して,年紀となす」とあり,3世紀頃には,春に耕作して,秋に収穫する現実の農耕作業によって年数が計られ,それにもとづいて農耕儀礼がなり立っていたと考えられる。7世紀初めに百済(くだら)経由で中国の暦法が伝来すると,農耕儀礼の折目の日は暦上の節日・節供の影響をうける。暦の採用以後,たとえば朔(ついたち)正月が重視されるのに対し,1月15日の小正月に多くの農耕儀礼が行われるのは,この日が現実の農耕作業上の1年の折目とする観念にもとづく。

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