藤井種太郎(読み)フジイ タネタロウ

20世紀日本人名事典 「藤井種太郎」の解説

藤井 種太郎
フジイ タネタロウ

明治・大正期の右翼活動家 玄洋社幹事。



生年
明治3年6月16日(1870年)

没年
大正3(1914)年11月21日

出生地
福岡県筑紫郡住吉村

学歴〔年〕
慶応義塾

経歴
明治18年玄洋社に入り、高場乱の塾で漢籍を学ぶ。20年頭山満の「福陵新報創刊と同時に入社。のち上京、23年慶応義塾に入学。日清戦争後再び玄洋社の運動に従い、37年日露戦争では満州義勇軍に参加した。のち立憲同志会支部幹部、玄洋社幹事として活動、中国第一革命(辛亥革命)時には頭山満とともに参加した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

関連語 学歴

朝日日本歴史人物事典 「藤井種太郎」の解説

藤井種太郎

没年:大正3.11.21(1914)
生年:明治3.6.16(1870.7.14)
明治期の右翼活動家。福岡県筑紫郡住吉村出身。明治18(1885)年玄洋社員,20年『福陵新報』入社。社長頭山満 の援助で慶応義塾に学ぶ。日露戦争(1904~05)時に満州義軍参加,辛亥革命(1911)時も頭山に随行して上海南京に行き,袁世凱暗殺を策したりもした。

(上村希美雄)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤井種太郎」の解説

藤井種太郎 ふじい-たねたろう

1870-1914 明治時代国家主義者
明治3年6月16日生まれ。18年玄洋社にはいり,20年頭山満(とうやま-みつる)が発刊した「福陵新報」の実務面をてつだう。日露戦争では満州義軍にくわわった。大正3年11月21日死去。45歳。筑前(ちくぜん)(福岡県)出身。慶応義塾卒。

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367日誕生日大事典 「藤井種太郎」の解説

藤井 種太郎 (ふじい たねたろう)

生年月日:1870年6月16日
明治時代;大正時代の右翼活動家
1914年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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