藤原久須麻呂(読み)ふじわらの くずまろ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤原久須麻呂」の解説

藤原久須麻呂 ふじわらの-くずまろ

?-764 奈良時代公卿(くぎょう)。
南家藤原仲麻呂長男。母は藤原宇比良古(うひらこ)。藤原恵美朝臣(えみのあそん)の氏姓を称した。天平宝字(てんぴょうほうじ)6年参議となる。藤原仲麻呂の乱に際して中宮院の鈴印をうばおうとし,8年9月11日坂上苅田麻呂に射ころされた。「万葉集」巻4に大伴家持との贈答歌がある。名は訓儒麻呂ともかく。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の藤原久須麻呂の言及

【恵美押勝の乱】より

…奈良時代に恵美押勝(藤原仲麻呂)が起こした反乱。橘奈良麻呂の変を未然に鎮圧した藤原仲麻呂は,早世した長男真従の妻であった粟田諸姉をめあわせた大炊王を淳仁天皇として擁立し,またみずからを恵美押勝と称すること,私的に銭貨を鋳造し出挙(すいこ)を行うこと,および恵美家の印を任意に公的に用いることを許された。そして太保(右大臣),ついで太師(太政大臣)に進み,位階もついには正一位に達し,その間中国の唐を模倣したさまざまな重要施策を実行に移した。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」