藤原久須麻呂(読み)ふじわらのくずまろ

朝日日本歴史人物事典「藤原久須麻呂」の解説

藤原久須麻呂

没年天平宝字8.9.11(764.10.10)
生年:生年不詳
奈良時代貴族藤原仲麻呂と房前の娘藤原袁比良女の子。久須万呂,訓儒麻呂とも書く。天平宝字2(758)年東海東山両道の問民苦使(「もみくし」とも。臨時地方行政監察官)。仲麻呂と共に恵美朝臣というを称し,父の権勢により急速に昇進。平城京を管轄する新設のポスト左右京尹を務めて天平宝字6年参議。藤原仲麻呂の(764)に際し,中宮院で淳仁天皇管理の鈴印(駅鈴と天皇印)を奪おうとして,孝兼太上天皇方の授刀少尉坂上苅田麻呂により射殺された。

(増渕徹)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus「藤原久須麻呂」の解説

藤原久須麻呂 ふじわらの-くずまろ

?-764 奈良時代の公卿(くぎょう)。
南家藤原仲麻呂の長男藤原宇比良古(うひらこ)。藤原恵美朝臣(えみのあそん)の氏姓を称した。天平宝字(てんぴょうほうじ)6年参議となる。藤原仲麻呂の乱に際して中宮院の鈴印をうばおうとし,8年9月11日坂上苅田麻呂に射ころされた。「万葉集」巻4に大伴家持との贈答歌がある。名は訓儒麻呂ともかく。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典内の藤原久須麻呂の言及

【恵美押勝の乱】より

…奈良時代に恵美押勝(藤原仲麻呂)が起こした反乱。橘奈良麻呂の変を未然に鎮圧した藤原仲麻呂は,早世した長男真従の妻であった粟田諸姉をめあわせた大炊王を淳仁天皇として擁立し,またみずからを恵美押勝と称すること,私的に銭貨を鋳造し出挙(すいこ)を行うこと,および恵美家の印を任意に公的に用いることを許された。そして太保(右大臣),ついで太師(太政大臣)に進み,位階もついには正一位に達し,その間中国の唐を模倣したさまざまな重要施策を実行に移した。…

※「藤原久須麻呂」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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