朝日日本歴史人物事典 「藤原久須麻呂」の解説
藤原久須麻呂
生年:生年不詳
奈良時代の貴族。藤原仲麻呂と房前の娘藤原袁比良女の子。久須万呂,訓儒麻呂とも書く。天平宝字2(758)年東海東山両道の問民苦使(「もみくし」とも。臨時地方行政監察官)。仲麻呂と共に恵美朝臣という姓を称し,父の権勢により急速に昇進。平城京を管轄する新設のポスト左右京尹を務めて天平宝字6年参議。藤原仲麻呂の乱(764)に際し,中宮院で淳仁天皇管理の鈴印(駅鈴と天皇印)を奪おうとして,孝兼太上天皇方の授刀少尉坂上苅田麻呂により射殺された。
(増渕徹)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報