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藤原光能 ふじわらの みつよし

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

藤原光能 ふじわらの-みつよし

1132-1183 平安時代後期の公卿(くぎょう)。
長承元年生まれ。民部少輔(しょう)藤原忠成の子。後白河上皇の近臣。皇太后宮権大夫(ごんのだいぶ),右兵衛督(かみ)となり,治承(じしょう)3年(1179)参議。同年平清盛に解任されるが,5年参議に復帰。左兵衛督をかね,正三位にいたる。「平家物語」では,文覚の要請で平氏追討の院宣(いんぜん)をかいたとされている。寿永2年2月28日死去。52歳。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

藤原光能

没年:寿永2.2.28(1183.3.23)
生年:長承1(1132)
平安末期の公卿。民部少輔忠成と源季忠の娘の子。後白河院の近臣。下野守,近衛中将を経て,安元2(1176)年院近臣であるがゆえに位階上臈で平清盛の愛息知盛を越え蔵人頭になる。治承3(1179)年参議となるが,清盛のクーデタで解官。福原遷都・院政再開ののち参議に還任し正三位に昇り,寿永2(1183)年に出家,死去。『平家物語』に光能が平氏追討の院宣を奉じ,文覚を通じ源頼朝にもたらしたとあるが,『愚管抄』ではその所伝を否定しており,事実ではない。ただし光能が後白河法皇の寵を受け近侍していたことには違いなく,神護寺に後白河法皇と共に似絵が伝わる。

(奥田環)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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