朝日日本歴史人物事典 「藤原光能」の解説
藤原光能
生年:長承1(1132)
平安末期の公卿。民部少輔忠成と源季忠の娘の子。後白河院の近臣。下野守,近衛中将を経て,安元2(1176)年院近臣であるがゆえに位階上臈で平清盛の愛息知盛を越え蔵人頭になる。治承3(1179)年参議となるが,清盛のクーデタで解官。福原遷都・院政再開ののち参議に還任し正三位に昇り,寿永2(1183)年に出家,死去。『平家物語』に光能が平氏追討の院宣を奉じ,文覚を通じ源頼朝にもたらしたとあるが,『愚管抄』ではその所伝を否定しており,事実ではない。ただし光能が後白河法皇の寵を受け近侍していたことには違いなく,神護寺に後白河法皇と共に似絵が伝わる。
(奥田環)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報