耶律大石(読み)ヤリツタイセキ(その他表記)Yē lǜ Dà shí

デジタル大辞泉 「耶律大石」の意味・読み・例文・類語

やりつ‐たいせき【耶律大石】

[?~1143]カラキタイ西遼)の初代皇帝。在位1132~1143。あざなは重徳。廟号びょうごう徳宗王族出身。遼が攻撃を受けると外モンゴルに逃れ、のち西進して制圧、1132年カラハン朝を倒し、フスオルダベラサグン)で即位。さらに東西トルキスタンを制圧。

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精選版 日本国語大辞典 「耶律大石」の意味・読み・例文・類語

やりつ‐だいせき【耶律大石】

  1. 中央アジア、西遼(カラ‐キタイ)国の初代皇帝(在位一一三二‐四三)。廟号は徳宗。耶律阿保機(やりつあぼき)八代の孫。遼国滅亡後トルキスタンのウイグル族を征服し、ベラサグンで即位し、そこをフスオルダと改称して都に定めた。(一〇八七‐一一四三

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改訂新版 世界大百科事典 「耶律大石」の意味・わかりやすい解説

耶律大石 (やりつだいせき)
Yē lǜ Dà shí
生没年:1087-1143

中央アジアのカラ・キタイ(西遼)の建国者。在位1132-43年。〈やりつたいせき〉とも呼ぶ。遼朝の王族の出身。12世紀初頭,遼が金の攻撃を受けて滅亡に瀕すると,200人のキタイ人とともに自立してモンゴリアに赴く。しかしここにも金の支配権が及び始めたため,1129年ころこの地を去って中央アジアに向かい,1132年にはベラサグンに姿を現し,この地の支配者であったカラ・ハーン朝の君主退け,自らグル・ハーン(〈大ハーン〉)と号して新国家を建設。1141年にはセルジューク朝軍をカトワーンの野に撃破するなど,周辺の諸勢力を打破して東西トルキスタン全域にその支配権を確立した。自らは仏教徒として,中国風の生活を維持したが,その支配下のトルコ・イスラム世界の内部生活にはほとんど干渉しなかった。
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山川 世界史小辞典 改訂新版 「耶律大石」の解説

耶律大石(やりつたいせき)
Yelü Dashi

1086?~1143

の王族,契丹(きつたん)人。カラキタイの建国者。称号はグル・ハン,中国名では天裕皇帝,廟号は徳宗。遼末に圧力が激しくなると,1124年モンゴル高原の可敦(かとん)城で王を称し,29年西ウイグル王国領内を西進した。バラサグンを攻め取り,1133年に都フス・オルダ(グズ・オルド)を建設した。カラハン朝領域の各地を征服して1141年頃にはブハラサマルカンドの中間地点まで到達し,皇帝を称した。東西トルキスタンの地域を服属させ,カラキタイの基礎を築いた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「耶律大石」の意味・わかりやすい解説

耶律大石
やりつたいせき
(?―1143)

中央アジア、カラ・キタイ(西遼(せいりょう))の初代皇帝(在位1132~43)。字(あざな)は重徳、廟号(びょうごう)は徳宗。遼の太祖耶律阿保機(あぼき)の8世の子孫。1124年遼が金(きん)の攻撃を受けると、外モンゴル高原に北走し、のち西進して32年にチュー河畔のベラサグンで即位、延慶と建元し、グル・ハンと称し、天祐(てんゆう)皇帝と号した。41年セルジューク朝のスルタン、サンジャルの率いるイスラム連合軍をサマルカンド近辺で破り、トランスオクシアナに対するカラ・キタイの支配権を確立。のちホラズム(フワーリズム)・シャー朝を服属させた。

[護 雅夫]

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百科事典マイペディア 「耶律大石」の意味・わかりやすい解説

耶律大石【やりつだいせき】

中央アジア,カラ・キタイ(西遼または黒契丹(きったん))の建国者。朝の皇族。1124年遼が滅ぶや,一族を率いて西走し,中央アジアの諸部族を征服して1132年即位。グル・ハーン(大ハーン)と称した。

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旺文社世界史事典 三訂版 「耶律大石」の解説

耶律 大石
やりつたいせき

1087〜1143
西遼の建国者,徳宗(在位1132〜43)
遼の王族。遼が金に滅ぼされたとき脱出し,故国の回復をはかる。のち,キルギス地方を経由してウイグルを従え,トルキスタンに進出し,1132年チュー川畔のベラサグンに拠るカラ−ハン朝を征服して帝位につき,西遼(カラ−キタイ)を建国した。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「耶律大石」の意味・わかりやすい解説

耶律大石
やりつだいせき

「徳宗[西遼]」のページをご覧ください。

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世界大百科事典(旧版)内の耶律大石の言及

【カラ・キタイ】より

…西遼ともいう。中国の一部をも領有した遼王朝の王族の出身者である耶律大石(やりつだいせき)が1132年,東カラ・ハーン朝の首都ベラサグンを占領して建国。1141年には,西カラ・ハーン朝とセルジューク朝の連合軍をサマルカンドの近郊に撃破して西トルキスタンをも支配下に収めた。…

※「耶律大石」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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