藤原吉次(読み)ふじわらのよしつぐ

改訂新版 世界大百科事典 「藤原吉次」の意味・わかりやすい解説

藤原吉次 (ふじわらのよしつぐ)

(1)中世末から近世初期に京都で活躍した浄瑠璃太夫。生没年未詳。監物(けんもつ)とも称し,1613年(慶長18)河内介を受領した。《雍州府志》によると,文禄年中(1592-96)より,次郎兵衛(上総介)とともに摂津の西宮の傀儡くぐつ)師と提携して浄瑠璃操りを興行したと伝え,河内介が浄瑠璃太夫の受領の最初といわれる。正本伝存しないようである。

(2)近世初期の京都の浄瑠璃太夫,操り師。生没年未詳。左内太夫とも称し,若狭目(さかん)を受領して,若狭掾,若狭守とも称した。左内太夫と若狭守藤原吉次とは同一人物であるかどうか明らかでなかったが,近年,《寸長庵雑記》によって確認された。左内太夫は1620年代から活躍し,(1)の河内介と並称されたらしく,37年(寛永14)には左内正本として《ともなか》を刊行し,院参して操りを叡覧に入れ,42年には受領し,翌年には若狭守藤原吉次の名で正本《いけとり夜うち》を刊行している。このころ,伊勢嶋宮内が,50年代初頭には杉山七郎左衛門(丹後掾藤原清澄(きよずみ))が上京するが,若狭掾の勢力には及ばなかったらしい。若狭掾はたびたび院参し操りを興行しているが,57年(明暦3)にも院中で6段構成の曲《佐々木問答》を上演し(《隔蓂記》など),間もなく死んだらしい。その最盛期は正保年間(1644-48)ころと考えられる。正本には上記のほか,《阿弥陀本地》(1644),《あかし》(1645),《とうだいき》(1650)など12種が伝存する。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤原吉次」の解説

藤原吉次 ふじわらの-よしつぐ

河内掾吉次(かわちのじよう-きちじ)若狭守吉次(わかさのかみ-きちじ)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の藤原吉次の言及

【浄瑠璃】より

… 京都では最も早く浄瑠璃の発生をみた。1613年(慶長18)1月藤原吉次(監物(けんもつ))が河内目(掾)(かわちのさかん)を受領(浄瑠璃太夫口宣案ほか)したのが,浄瑠璃太夫受領の初めである。次郎兵衛も上総介(掾)を受領し,寛永(1624‐44)ころ四条河原で操り興行を行った。…

※「藤原吉次」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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