京都鹿苑寺(ろくおんじ)(金閣寺(きんかくじ))住持鳳林承章(ほうりんしょうしょう)の日記。30冊。自筆本は同寺に所蔵され、その期間は1635年(寛永12)8月から68年(寛文8)6月までの34年間にわたる。承章は勧修寺晴豊(かじゅうじはるとよ)の子で、出家して相国寺(しょうこくじ)住持の西笑承兌(さいしょうしょうたい/しょうだ)の弟子として修行し、相国寺住持となる。記事の内容は鹿苑寺、相国寺に関することが多い。また諸家との交流のようすもみられる。交わった人々として、後水尾(ごみずのお)天皇をはじめ、五摂家、公卿(くぎょう)などの宮廷の人々、林羅山(はやしらざん)、金森宗和、千宗旦(せんのそうたん)、狩野守信(かのうもりのぶ)(探幽(たんゆう))、野々村仁清(にんせい)らの学者、茶人、絵師、陶工などがあげられる。この日記は江戸前期の貴重な史料で、鹿苑寺発行で全6巻として刊行された。
[芳井敬郎]
…近世の寺領は350石。寺宝中,伊藤若冲(じやくちゆう)筆大書院障壁画50面,足利義満画像2幅,無学祖元・高峰顕日問答語1幅などは重要文化財,ほかに後水尾天皇など歴代の宸翰類,後水尾朝期の宮廷文化を知る宝庫ともいうべき承章の日記《隔蓂記(かくめいき)》がある。【藤井 学】
[金閣]
舎利殿は鏡湖池に面した3層の楼閣建築で(1950年焼失,55年再建),2,3層の内外が金箔で装われていたために金閣とよびならわされた。…
※「隔蓂記」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
二十四節気の一つ。元来,太陰太陽暦の 12月中 (12月後半) のことで,太陽の黄経が 300°に達した日 (太陽暦の1月 20日か 21日) から立春 (2月4日か5日) の前日までの約 15日間で...
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