朝日日本歴史人物事典 「藤原高房」の解説
藤原高房
生年:延暦14(795)
平安前期の官人。参議藤嗣と大納言紀古佐美の娘の子。6尺(182cm)という長身に加え,並外れた力持ちで,豪放磊落な性格であったという。備後(広島県),肥後(熊本県),越前(福井県)などの諸国守を歴任,その人柄にふさわしく各任地で名声を得ている。特に天長4(827)年美濃介在任中,寛厳両様の施策で盗賊を取り締まったのをはじめ,神の祟りを恐れて放置されていた堤防の修理を行い,あるいは民衆を惑わす妖巫をひとりで乗り込んで追捕するなど,当時としては珍しい合理精神の持ち主であった。しかし背中にできた悪性の腫物が原因で没した(『文徳実録』)。
(瀧浪貞子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報