藤原忠房(読み)ふじわらの ただふさ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤原忠房」の解説

藤原忠房 ふじわらの-ただふさ

?-929* 平安時代前期-中期官吏,雅楽家。
京家藤原興嗣の子。従四位上,右京大夫となる。「胡蝶(こちょう)」を作曲。また神楽,催馬楽(さいばら)の増補選定にたずさわった。中古三十六歌仙のひとりで,歌は「古今和歌集」などにはいっている。延長6年12月1日死去。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の藤原忠房の言及

【雅楽】より

…この傾向はその後も続き,10世紀に入ると〈御遊〉という形で,もっぱら鑑賞のために管絃などが行われるようになった。 このような風潮のうちで邦人作曲家によって外来楽の様式を模した作品が多くつくられ,大戸清上(おおとのきよかみ)の《北庭楽》《拾翠楽》《海青楽》《壱団橋》,藤原忠房の《延喜楽》,源博雅の《長慶子(ちようげし)》など,その多くは今日も演奏されている。また9世紀前半ころに催馬楽,10世紀末までには朗詠という,いずれも声楽中心の新しい種目がつくられた。…

【胡蝶】より

…かわいらしい舞姿の曲。平安時代,延喜8年(908)あるいは延喜6年ともいうが,宇多上皇が子供の相撲を見物したとき,藤原忠房(楽人)がこの曲を作曲,敦実(あつみ)親王(宇多天皇の子,琵琶を弾き,雅楽に造詣が深い)が舞をつけたという。この2人はほかに《延喜楽》も作舞したという。…

※「藤原忠房」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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