(1)雅楽,舞楽の曲名。高麗(こま)楽にふくまれ高麗壱越(いちこつ)調。四人舞の童舞(どうぶ)。胡蝶楽,蝶ともいう。番舞(つがいまい)は《迦陵頻》。仏教の法会などで,2曲並んで舞われることも多い。4人の子供が山吹の花をつけた天冠をかぶり,《胡蝶》用の別装束(蝶の紋のついた袴と袍)を身にまとい,背中に蝶の羽をかたどったものを背負い,右手に山吹の花を持って舞う。かわいらしい舞姿の曲。平安時代,延喜8年(908)あるいは延喜6年ともいうが,宇多上皇が子供の相撲を見物したとき,藤原忠房(楽人)がこの曲を作曲,敦実(あつみ)親王(宇多天皇の子,琵琶を弾き,雅楽に造詣が深い)が舞をつけたという。この2人はほかに《延喜楽》も作舞したという。演奏次第は,《高麗小乱声(こらんじよう)》-《高麗乱声》(舞人登場,出手(ずるて))-《小音取(こねとり)》(高麗笛と篳篥(ひちりき)の音頭による)-当曲(四拍子,拍子16)。当曲を奏している間に舞い終わり,舞人は退場する。蝶が飛びかう様を描くように手を振りながら舞台に輪を作り,くるくる回る。
(2)能の曲名。三番目物。鬘物(かつらもの)。観世信光作。シテは胡蝶の精。旅の僧(ワキ)が都の古跡をたずね,今を盛りの梅の花をながめているところへ,1人の女性(前ジテ)があらわれる。実は胡蝶の精で,四季に咲く花と戯れることができるのに,早春に咲く梅の花だけは縁が薄いと嘆き,旅の僧の読経によって成仏したいと頼んで消え去る(サシ,クセ)。その夜,僧が回向すると夢の中に胡蝶の精(後ジテ)があらわれ,御仏の力により,梅の花とも遊ぶことができるようになったと喜び,胡蝶の舞を舞う(〈中ノ舞〉)。美しくかわいらしい曲である。《胡蝶》の詞章には,中国の《荘子》の胡蝶の夢物語や《源氏物語》の胡蝶の巻(舞楽《胡蝶》と《迦陵頻》に触れる)の文がとられている。
執筆者:加納 マリ
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能の曲目。三番目物。観世(かんぜ)、宝生(ほうしょう)、金春(こんぱる)、金剛(こんごう)四流現行曲。ただし金春は明治期の復曲。観世小次郎信光(のぶみつ)作。都に上った僧(ワキ、ツレ)が一条大宮の梅花に見入っていると、女(前シテ)が呼びかけて登場。自分が蝶(ちょう)の精であることを明かし、梅に縁のない身の上を嘆く。荘子(そうし)の夢のなかの胡蝶の話や、光源氏の胡蝶の舞の故事などを語って消える。後シテは、法華経(ほけきょう)の功徳で梅の花に戯れる胡蝶の精魂で、軽やかに喜びを舞う。一座の後見職にあった信光が、年少の大夫(たゆう)の練習曲として書いたとも伝える。小品の能だが澄んだ情緒をたたえる佳作である。
[増田正造]
雅楽の曲名。別名「花持舞」、略して「蝶」ともいう。高麗壱越調(こまいちこつちょう)に属する楽舞で、童舞(どうぶ)四人舞。左方唐楽(とうがく)の童舞『迦陵頻(かりょうびん)』に対し、日本でつくられた番舞(つがいまい)である。醍醐(だいご)天皇の延喜(えんぎ)6年(906)または8年(908)に宇多(うだ)上皇が童相撲(わらべずもう)を御覧になる際、勅命によって山城守(やましろのかみ)藤原忠房(ただふさ)が作曲し、敦実(あつみ)親王が作舞したといわれる。舞人の稚児(ちご)らは、頭上の天冠(てんがん)には山吹の花、背には蝶の羽をつけ、右手に山吹の小枝を持って舞う。高麗乱声(らんじょう)により登台して「出手(ずるて)」を舞い、当曲で胡蝶の飛び交うさまを舞い、最後には大きな輪をなし実際に飛びながら順次退出する。『迦陵頻』とともにその可憐(かれん)さを尊ばれ、四箇(しか)法要の献供作法にもしばしば取り入れられる。
[橋本曜子]
出典 日外アソシエーツ「歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典」歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典について 情報
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