朝日日本歴史人物事典 「藤原範永」の解説
藤原範永
平安時代の歌人。長和5(1016)年,蔵人。のちに藤原公任に絶賛された「みる人もなき山里の秋の夜は月の光もさびしかりけり」という歌は若年のころの作らしい。治安3(1023)年東宮(のちの後朱雀天皇)少進に任ぜられ,のち受領を歴任。延久2(1070)年ごろ出家。後朱雀天皇やその母上東門院への敬慕の念は深く,天皇の没後,院周辺の女房に「いにしへを恋ふる寝ざめやまさるらんききもならはぬ峰の嵐に」という歌を贈っている。また「和歌六人党」と呼ばれる受領層歌人たちと親しく交わり,指導的立場にあったらしい。藤原頼通をめぐる歌人たちの後期の中心人物のひとりであり,能因,相模,橘俊綱など多くの歌人たちと交遊を持った。
(安隨直子)
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