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藤原範永 ふじわらの のりなが

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

藤原範永 ふじわらの-のりなが

?-? 平安時代中期の官吏,歌人。
長和5年(1016)蔵人(くろうど)となる。阿波(あわ),摂津などの国守を歴任,正四位下にいたる。和歌六人党のひとりで,藤原頼通の歌壇で活躍した。歌は「後拾遺和歌集」以下の勅撰集に30首がはいる。延久2年(1070)ごろ出家,津入道と号した。家集に「範永朝臣(あそん)集」。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

藤原範永

生年:生没年不詳
平安時代の歌人。長和5(1016)年,蔵人。のちに藤原公任に絶賛された「みる人もなき山里の秋の夜は月の光もさびしかりけり」という歌は若年のころの作らしい。治安3(1023)年東宮(のちの後朱雀天皇)少進に任ぜられ,のち受領を歴任。延久2(1070)年ごろ出家。後朱雀天皇やその母上東門院への敬慕の念は深く,天皇の没後,院周辺の女房に「いにしへを恋ふる寝ざめやまさるらんききもならはぬ峰の嵐に」という歌を贈っている。また「和歌六人党」と呼ばれる受領層歌人たちと親しく交わり,指導的立場にあったらしい。藤原頼通をめぐる歌人たちの後期の中心人物のひとりであり,能因,相模,橘俊綱など多くの歌人たちと交遊を持った。

(安隨直子)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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