日本歴史地名大系 「藤原胤子陵」の解説 藤原胤子陵ふじわらのいんしりよう 京都市:山科区勧修寺村藤原胤子陵[現在地名]山科区勧修寺北大日大日(だいにち)山の南側中腹にある円墳。胤子は内大臣藤原高藤と宇治郡大領宮道(みやじ)弥益の女列子との間に生れ、宇多天皇の女御となって醍醐天皇を産んだ。寛平八年(八九六)六月三〇日に二一歳で死去(「日本紀略」「中右記」康和五年正月二六日条)。寛平九年七月一九日に皇太后を追贈され、同一二月八日に忌日が国忌とされた(日本紀略)。陵墓は「延喜式」に「小野陵 贈皇太后藤原氏、在山城国宇治郡小野郷、陵戸五烟、四至東限百姓口分并観修院山、南限小栗栖寺山并道、西限榲尾山岑、北限松尾山尾并百姓口分」とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by