日本歴史地名大系 「西之山村」の解説 西之山村にしのやまむら 兵庫県:加古川市旧加古郡地区西之山村[現在地名]加古川市神野町西之山(かんのちようにしのやま)・神野町日岡苑(かんのちようひおかえん)・新神野(しんかんの)六丁目・同八丁目石守(いしもり)村の北西に位置する。西山村とも記す。慶長国絵図に「西山村」とみえ、その南に「高脇」と記される。正保郷帳には記載がない。寛永年間(一六二四―四四)に石守村より高割されたという(元文二年「石守村明細帳」松井家文書)。元禄郷帳に「古ハ石守村」と肩書されて村名がみえ、高二七五石余。天保郷帳では高三二二石余。文化一三年(一八一六)北東隣の二塚(ふたつか)村との間で村境に植えた櫨の苗について争論が起こった(「櫨苗植付場所につき争論願書」荒木本家文書)。 西之山村にしのやまむら 兵庫県:赤穂郡上郡町西之山村[現在地名]上郡町西野山(にしのやま)・高田台(たかただい)与井新(よいしん)村の東、高田(たかた)川の下流域の低丘陵に立地する。慶長一六年(一六一一)池田輝政は「西山村」のうち一二二石余を吉村忠右衛門に宛行っている(「池田輝政家臣地方知行状」鳥取県立博物館蔵)。江戸時代の領主の変遷は延享四年(一七四七)までは上郡村に、同年以降は井上(いのかみ)村に同じ。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報